税金と福祉はお金自身で行わせるのが自然である

 今年も今日で終わる。特に今年は人生最大の大勝負に出た年だったと同時に今までやってきたことの完結編でもあった。

 その今年を本日捨てて明日の新年を受け入れる!

 本当に強い者とはどんな人間か?というテレビドラマの台詞であったが、「強い者でもなく、頭のよい者でもなく、自分が変われる者だ!」と。その証拠は「なぜ恐竜は絶滅したのか? 氷河時代に生き残った生物はどうしたのか?」にあると語っていた。

 自分が変わる! これが生き残る最も強い戦略である。人類だって、いつまでも同じことを繰り返ししていたら、生き残れない。どんな植物でもさらに生き残るための新品種に変わろうとしている。

 自分が変わるとはどういうことか?

 実は私達の肉体を構成する細胞は毎日、毎秒新陳代謝をしている。それは無意識に自然にそうしている。生き残るということは生きるということなのだ。

 自分が変わるとは昨日の自分をすべて捨てて、明日の自分を受け入れるということである。

 今ここに水が一杯に入ったコップがあったとする。その水を新しい水に入れ替えるためには、その水をまず捨てなければならない。水が入れ替わっても、替わらないコップというのは肉体のことであり、替わる水とは心のことである。

 自分が変わるということは自分を変えるということではないよく、宗教やビジネス界で、「よりよい自分に変える」という修行や訓練があるが、それらはほとんど洗脳とマインドコントロールであり、他人(上の者)の言うとおりに動くということであって、自分を変えることではなく、自分が変えさせられることであり、服従することである。

 我々が意志することなしに、肉体の細胞は新陳代謝し、心は一瞬一瞬変わり止まることはないではないか。

 自分が変わるには、どんな意志も必要ないのである。「そのままの自分」を受け入れるだけでいいのだ。天地自然が勝手に自分を一瞬一瞬変えてくれる、風がそよぎ、日差しが変われば、それを受け入れればいいだけである。「そのままの自分」とはまた「 自然を受け入れる」ということでもある。

 さて、今日の本題はここからである。

税金の話である。

 国民であるかぎり、国に税金を納めなくてはならない。そうしないと、国が成り立たないからである。

 と、思いこんでいる。

 税金は自己申告が基本である。脱税は犯罪として国から罰せられる。でも、税金というお金はそもそも国民は印刷できない、お金を印刷できるのは日銀だけである。そのため、税金を国に払えるのは日銀だけであるから、国民の税金を課さずに日銀に「税金払え」と言え! と叫びたくなる。実際問題、今そうなっている。国民が税金1000兆円払えないから、日銀がそれを払いなさい。今年はその分の25兆円日銀が払ったではないか。

 第2の思いこみはこれだ。

 税金は真面目に働いて払いなさい! 一体お金をまもとに働いて得た人がどれほどいるだろうか? お金は働いて稼ぐよりも、お金でお金を稼がせる方が莫大な金を手にすることができるというのが現実である。それを教えてくれたのはライブドアのようなIT産業が、株によって企業買収することで、莫大な金をあっという間に儲けることができたという報道である。
 金持ちの多くが遺産相続や不動産などの不労所得からなったであろう。

 そのため、税金が払えるのは金持ちだけである。労働者である国民は税金が払えないから、国は金持ちから1000兆円借金せざるをえないのが現状なのである。つまり、「税金は金持ちだけが払えばいい!」と叫ぶことが正解なのである。

 国民すべてが税金を働いて国に払わなくてはならないというのは法の処罰による洗脳である。しかも、不労所得の金持ちが、労働する国民を支配するためのマインドコントロールであり、その手先が国家であるということだ。

 ここで、シャカとイエスの言葉を思い返してほしい。

「お金を引き継ぐ者にならずに、自然を引き継ぐ者になりなさい」
「お金は作ったものに返し、自然のものは自然に帰しなさい」

 お金はお金自身で勝手に税金を国に払うこと、それが自然であり、人の理と道にかなったシステムである。

 今のお金は「所有権」であり、その税金とは「個人の所有権」が「国の所有権」に移行することである。

 ここで、また自分が変わるということがどういうことか思い返してほしい。

 自分が変わるということは「古い自分を捨てて、新しい自分を受け入れる」ということである。

 それはお金自身にもいえることである。
つまり、
 「個人の所有権であるお金を捨てる」と、自動的にそれは「公共の所有権であるお金になる」ことである。そして、
 「新たな個人の所有権であるお金を受け取る」ということは、「公共の所有権であるお金から、新たに個人の所有権に分配される」ことである。

 このお金の顔である「自己所有権」が、常に入れ替わることがお金が生き残る自然な道である。

 そのシステムとは、お金そのものが食べ物のように一定の期間でその効力が消滅することが重要である。

 例えば、10人の国民がいたとして、10円のお金が毎年商品交換で必要だとする。

10人国家はまず10円のお金を発行し、平等に各人1円ずつ分配する。それはトランプでカードを配るようなものである。

 ゲームはその取り合いになり、1年後、例えば、トップの人が6円,次が2円 その次は1円1円になり、その他は0円になることは多いだろう。

 ゲーム終了になると、そのトランプはすべてもとの箱に収められる。これが、税金にあたる。個人の所有権が無くなり、すべて公共の所有権になることである。

 そして、翌年、国は再び集められた税金10円を、全国民10人に1円ずつ配り、ゲーム(経済生活)が開催され、競い合う楽しさが国民全員に与えられる。

 そのお金の流れにおいて、競争するゲームのときだけ、「働く・稼ぐ・頭を使う」という意志があるが、トランプをもどし、再配分することに対して、努力することはない。自動的に、無意識に、システムとしてお金自身が勝手に動くようなものである。それはあたらかも、天から雨が山に降り注ぎ、いろいろな川となって海に流れ込み、再び、水蒸気となって、天にあがり、冷やされて、再び山に雨が降るようなものである。

 かくて、税金も、福祉も、お金のシステムが自動的に自然に行うことで、私達は自然に自分をありのままに生きられ、人としてこの地球に生き残れることができるのである。

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