手段がその手段であるかはその目的をみればいい

 アメリカの映画なんか見ると、「自分の命は自分で守れ」と「ピストル」を渡す。西部劇は今も続いている。

 しかし、ピストルで自分の命を守れるのだろうか? これは、北朝鮮でもいえる。「自国を守るためには核が必要である」として、核開発をする。しかし、実際は反対の結果になる確率が高い。

 この理屈が正しいかどうかを検証するには、道具(手段)であるピストルの目的を見ればいい。

鍬の目的は畑を耕すように、ピストルの目的は人を殺すことである。そのため、自殺にもピストルが使われる。つまり、ピストルは自分の命を守る道具ではなく、自分の命を奪う道具でもある。

 これは死刑制度でもいえる。死刑という法律(政治の道具)の目的は人を殺すことである。故に、相手が善人であっても殺すことができる法律である。つまり、ピストルも死刑も人を殺す道具と手段であり、人の命を守るものではないことがわかる。

 この基本的な検証はいろいろと使える。

 お金は生活する道具であるが、道具であるお金の目的をみれば、それが本当に生活の道具であるかどうかが解る。

 今のお金の目的はモノや人を支配することである。国債も投資家が国を支配する。株主が会社を、会社が社員を支配し、働かせる。支配するための道具が金である。けして、生活の道具ではないこと明確である。

 働くという目的は「助け合う」「分かち合う」ことである。支配されることが目的ではない。故に、働く道具としての今のお金は使えないし、働く対価としてのお金など正当なものではない。

 世界中で発行されたお金の10倍債券があり、それから派生した100倍もの金融商品がある。それは貸した人が借りた人を支配するためのものである。

 もし、お金が商品を買えるためのものであるならば、今のお金で地球100個分買えるだけのお金が印刷、または電子化されている事実はどう解釈すればいいのだろうか?

 どうして、そんな人を支配し、かつ戦争させるお金が生まれてしまったのだろうか?

 それはたった一つの事実ではないミスから生まれた。

 「お金は貸し借りができる」という錯覚からである。例えば、リンゴをお金と交換できるため、お金Xにリンゴ1個を代入して検証できる。お金の貸し借りができるならば、リンゴ1個も貸し借りできなければ事実ではない。

 リンゴ1個は食べるものであり、食べなくても朽ちて消えてしまうものであるから、貸し借りはできないことは明らかである。

 貸し借りができないという事実を無視して、それができるという幻想(嘘)から、利息を付けて増やすことができるという幻想(嘘)ができる。その複利のような双曲線が物価に現れる。ハイパワーインフレのように、コーヒー一杯100円が1兆円になることが現実になる。世界中の国の借金だけを合計しただけでも、未来の人類が時給1000円で働いて返済したとしたら、何万年もかかっても不可能である。

 老後のための生活費として貯金をするが、もし、お金がリンゴなどの食べ物だったら、何十年先まで腐らずに貯めておくことができるだろうか?

 お金が腐らないで永遠の金(きん)のように輝いて自分の命を保証する神という幻想を信じているだけにすぎないのである。

 こうした嘘と本当を見抜く眼は、

 その手段・その道具の目的が何かを見ればいいだけである。

 もし、その道具が本来の目的と違っているならば、それを捨て去り、目的にあった新しい道具を造ればいい。

 子供の命を守る防犯グッズにピストルはない、防犯ブザーがある。災害があった人の生活を守るのは水と食料であって、借金ではない。

 命と生活を守るものは人々の協力と自然の水と食料であるようなシステムと新しく朽ちる金である。

 

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