善悪の前に命の尊厳がある

 前回、その道具が正しいかどうかを見るためには、その道具の目的を見れば解ることを話した。

 今度は、目的が正しいかどうかを見るためには、その道具を見れば解ることを話したい。

 例えば、

 見知らぬ人がAB二人でけんかしている。そして、片方Aが相手Bを殺そうとした。

 この場合、第三者である自分Cはどうすればいいだろうか?

どんなABの理由(目的)であれ、CはBを止めることが真っ先に優先される。

 そして、CはBを止めた時、AはBを殺そうとした。

この場合、自分Cはとっさにどうすべてきであろうか?

 それはBを止めるのをやめ、Aを止めるのが優先される。

ABの行為が繰り返されたとしても、Cは常に殺す行為を止めることが求められるのである。

 今エジブトで騒動が起きている。独裁の大統領が悪く、多くの民衆が正しいという判断だけで、大統領を辞退させるために、警官を殺していいかはいえない。

 これは、イラク戦争のアメリカの失敗からでもいえる。ピンポイントで、悪い大統領さえ、殺せば正義が貫かれることはなかったからだ。

 政治家や民衆は医者のように、患者がどんな人であろうと、差別なくその命を救うことを優先するような判断をするのがあとになって間違いが少なくなる。

 善悪の判断する前に常に命の尊厳を守ろうとする行為が必要なのである。

 人は神でも悪魔でもなく、神にも悪魔にもなれる存在だ。それは、コインの裏表があるように、どちらの性格ももっているからである。

 そのため、この人は良い、この人は悪いと決めつけることはできないのである。できるのは、その人の行為は良い、その人の行為は悪いということだけである。

 昔からの格言で、

その人をうらむな、うらむなら、その人の行為だけをうらめ!

 というようなものがあったように思う。

 これは、完全な善人である神も仏もいないことが事実であるからだ。なぜなら、完全な善人である神仏がいたなら、完全な悪人である悪魔と愚者もいなければならなくなるからだ。

 もし、完全無欠な神がいたなら、子供にこう尋ねられるだろう。

「天地の創造主にして、全知全能、正しく善なる神様! どうして悪人、残忍なる者を造られたのですか?」

 神様はこう答えるかもしれない

「それは罪ある人を善なる私に導くためです」

「慈悲あまねく神よ、それは我々すべてが罪人であるためでしょうか?」

「いいや、一部の人だけです。」

「その一部の罪人を造ったのは完全なる神様のミスではありませんか?」

 ここで、神様は笑ってごまかすしかなくなるだろう。

 善悪というのは人の行為から生まれるものであって、もし、行為しなければ善悪は生じないものだからである

 例えば、どんなに心の中で世界中の人を殺しても、それが行為にならない限り、悪にはならない。

 これは、愛という許しにもいえることで、どんな罪人でも許すことができるのはその人であって、その人の悪行を許すということではない。

 殺人者の命は許すけれど、殺人という行為はけして許さないということである。殺人者を許すのは愛だが、殺人という行為まで許すのは愛ではなく、憎悪である。

 神仏は心の世界だけにいるが、行為の世界にはけしていないのである。だから、神仏は直接語ったり、何かすることはない。もし、語ったり、何かを起こしたら、その神仏は偽物であると判断できるものである。

 昨年、警官が犯人と誤認、その隙に刺される・秋田弁護士刺殺事件、があったが、善悪の判断はすぐには無理である。死刑だって、免罪があり、長いこと裁判されても、善悪の判断は難しいのである。

 北朝鮮が韓国の国民を爆撃して殺したから、北朝鮮に報復して、その国民を殺していいかとはならない。殺したのが軍人で、それを命令したのは金正日で、それを選んだのは国民だから、その国民を報復として韓国政府がしかも裁判なしに死刑にしていいとはならないのである。

 人を救助する際、愛情が先走って、人的二次三次災害が起こることを防ぐのも、命には優位の差はなく、自分が命があってこそ、助けられるというのが基本だろう。

 また、戦争や残虐行為のように、「殺人しなければ殺される」状況においても、この善悪の前に命の尊厳があり、その差はないといえると思うのである。

 権力をもつAが弱いBに向かって、さらに弱い(また敵)Cを殺さないと殺すと脅された場合、Bはどう行動すればいいだろうか?

  ABCの命の重みは同じであるから、BはAの殺人的行為を止めるのが先決である。それができなくても、Cを殺す理由にはならない。

 兵士にとって、上官の命令は絶対というが、それが殺人であったなら、無視していい。兵士の役目は国民の命を救う、守る役目であって、仮想敵の人を殺すことではないからだ。

 そのため、軍隊の規律

第一条 上官の命令は人を殺す以外絶対服従である。

第二条 どんな事情があっても、その人を殺さず、その人の殺人行為を止めなくてはならない。

第三条 もし 敵が銃で味方を殺そうとするなら、その銃を持つ敵の腕だけ打たなくてはならない。 (敵があなたの頭をねらったら、あなたは敵のその腕をねらいなさい

 ということになるだろう。

 そのお金が正しく貯蓄されたかどうか解らない場合、そのお金の使い道を知ればいい。もし、ギャンブルだったら、ギャンブル、金儲けのための投資だったら、金儲けであり、本来の食べ物を得る金ではないと知ることができる。

 その手段が目的にあったものかどうかはその手段自体からくる目的で知れ!

 その目的が不明であったならば、その手段自体からくる目的で知れ!

 平和のためのピストルはなく、ピストルを使うところに平和もない。

 食べるための金儲けはなく、金儲けするところに食べものはないのだから。

 

カテゴリー: 自然に生きる パーマリンク