お金はどこからやってくるのか

 麻雀通貨、物々交換通貨をまとめてみて、びっくりしたことに、それが一致したシステムだったことだ。しかも、それをシステム展開すると、今の貨幣とはまったくひっくり返った貨幣が生まれてきた。

 税金を国民が国に払う義務があるのではなく、逆に、国が国民に税金を払う義務があるというシステムにひっくりかえってしまった。

 今は国民が自分の資産や所得や消費に対して国に税金を納めているが、それが、国は国民の資産と所得や消費に対して必要なお金を製造し渡さなくてはならなくなるシステムである。

 いわば、お金の天動説から地動説に変わるような変革である。

▼4人が、麻雀の1ゲームする前と後の差をみると、

 4人とも平等に2500円ずつ配当されるが、ゲームの結果は必ず、4人の差が最初の2500円よりもプラスいくらになるか、マイナスいくらになるかになる。

▼物々交換をお金を使って交換すると、やはり、自分が持ってきた商品よりも、プラスになるか、マイナスになるかになる。

 これは商売における仕入れと売上げの差額が出ることである。例えば、100円のリンゴ10個を他と物々交換するとしたら、それに対して貸し出されるお金は1000円であり、それ以上買えないとする。

 もし、借りた1000円で他の果物レモンやブドウを買ったが、自分のリンゴは3個しか売れなかったので、売上げ300円ー仕入れ1000円=ー700円で赤字になる

 もし、借りた1000円で他の果物を500円を買ったが、自分のリンゴは10個全部売れてしまった。

 売上げ1000円ー仕入れ500円=+500円で黒字になる。

 つまり、麻雀でも物々交換でも、当初よりも、かならずプラスマイナスができることは共通している。

 そして、このブラスの金額とマイナスの金額は全体では必ず同額になることも共通している。

 お金は麻雀でも、物々交換でも、まず国は国民1人1人に生きるための必要な最低限のお金と、経済活動するための国民の資産に合わせたお金を製造して、貸出しして、全額回収しなくてはならない。

 そのため、お金の発行額は国民の基本的生存と、その国民の資産の総額でなくてはならない。

そして、お金は2種なくては経済活動はできない。1つは国民の基本的生存と資産に対応するお金、2つはそこから生じる+ーの債券である。

 従って、この債券の発行額は債務額と債券額は同額でなくてはならない。その発行総額は1の基本発行金額を超えてはならない。

 例えば、1000円のリンゴを交換し、もっとも借金が増えた場合は、まず、手持ちのリンゴを1000円全部売って、貸し出された1000円と合わせて、2000円分のレモンやブドウや桃を買うことができるからである。 しかし、リンゴを一個を1000円以上に売ったり、他の果物を安く買ったりしたら、借金は2倍以上に増える。また、他人が支給されたお金をたくさん借りて、たくさんの果物を買ったら、その借金額は返済ができないくらい大きな金額になるからである。

 債券が2倍を超えないようにするには、同時にお金は国以外から借りてはならないという規制が必要になる。これは店の又貸しを禁止するように、お金の又貸しを禁止することである。

 金融恐慌は借金が返せないような状況になったことから始まった。お金は日銀しか発行できないが、債券は国民が誰でも無制限に発行できるために起きた混乱である。日銀もそうだが、債券もまた国しか発行できないようにしないと、経済は混乱してしまうことになる。

 闇金で交わした債券は国が発行していないので、それは賭け事の負けは返済する必要がないことと同じである。

 国が国民に貸し出したお金は必ず全額100%返済できるようにしなくてはならないが、それはなにも税金をかけたり、集金したりするような人為的にする必要はまったくない。

 ただ、お金や債券に通用期限をつければいいだけである。リンゴをお金とすれば、りんごが腐るように、お金も1年後使えなくすればいいだけである。そして、常に新しいリンゴを栽培するように、お金も毎年、国民の生存と資産に合わせた金額を製造し、配布するだけでいいのである、

 配布する際、債券のプラスとマイナスを精算すれば、配給額が決められることになればいいだけである。

 税金のようなものは支給額から引かれた債務分や増やされた債権分になるだろう。

 これは、団体や組織のような法人にも適応されられる。その場合、人件費は大幅に削減でき、それよりも、その法人の社会的必要度の大きさで、国からの配給金が決められてくるだろう。

 

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