自殺遺伝子

 自殺遺伝子という言葉がいやに引っかかった。それは、福井新聞の特集記事からである。

「種を採っても芽が出ないよう遺伝子操作した〝ターミネーター種子(自殺する種子)〟の登場を心配する声もある。「一般的に理論はあるが研究はしていない」(佐々木課長)とはいえ、仮に現実になれば、それこそ〝種子の支配〟につながりかねない。だから根強い不安があるのだろう。

 ターミネータというのは、人間が作った高性能のロボットに支配され、次々の人間が殺戮される映画である。

 未来を描くこの不安はどこからくるのだろうか? 

 これはまさに原子力発電という電気を起こすロボットが、最終廃棄物になって、全人類をその放射能で死に追いやる未来予想に重なってみえる。

 原子力発電が地球人類を死においやる危険性をよく説明したのが、下記の

 未来の子供達の命を守ろうとする27年間の闘いを特集したNHK”原発”に揺れる町~上関原発計画・住民たちの27年~

 ここで、推進派の人が原子力発電所誘致で莫大なお金が入り、人々がたくさん集まり、豊かな町と幸せが実現できると信じている。行政もそのような信念をもって動いている。しかし、先輩である柏崎の原発地域はどうなったかまでは調べていない。

 反対派は幸せと豊かさはきれいな海にあるとする。その海を守ることが未来の子供達に胸をはって引き渡せることだと話している。

 まさに、経済優先の開発か、命を守る自然環境保護かの対立である。

 この対立構図は、沖縄のアメリカ軍基地にもあてはまっている。軍備防衛か、自然環境保護かである。

 自然環境よりも経済優先した場合、一体どうなるだろうか?

 自殺は人間だけがすると言われるが、動物はどうだろうか? 

レミング(lemming)というのはネズミは何年かに一度異常増殖する。余り頭数が増えすぎて、巣穴の周辺に食糧が無くなってしまうほどになる。すると、普段は遠出することがない彼らが、大集団になって移動を開始し、海岸まで到着すると次々に海中に飛び込んで集団自殺するという不思議な行動をとることは余りにも有名である。

イエネズミの集団密度が増すと、不思議なことにある種の細菌(Streptobacillus moniliformisなど)がネズミの群れに大感染を起こし、ネズミは次々に敗血症を起こして死亡していく。こうして、細菌という天敵の作用でイエネズミの数は急減し、異常増殖は終わりを告げるのである。

 人類は今人口爆発している。しかし、日本は豊かな食料があっても、人工が減ってきている。自殺者も交通事故死亡者を抜いて年間3万人を超えてふえている。癌の死亡者は年間33万人であり、亡くなった人の3人に1人の割合である

 平家物語で語られる

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。

「驕れる者久しからず」とは、経済の豊かさだけを追求していくと、そこに欲望の限界が生じてきて、自ら滅亡してしまうのが世のなりわいである。

 それは、「どうして麻薬に手を出して、自ら死のうとするのだろうか?」

 欲望という列車は止められない・・・わかっちゃいるけどやめられない・・

 原子力発電をすればするほど、死の灰の処理に困りはて、それがいつしか積もり積もって、全人類を破滅においやることを知ってはいるが、それを止められない。

 今の電気の快楽生活をとめようなんてできない、未来の子供達がどうなろうと、今の自分の生活の方が大切・・・

 蛾は明るい火の中に飛び込んで死んでしまう。砂糖に群がる蟻は人に見つかると殺される。

 今の金融恐慌が起きてしまったのは、あくなき金の欲望の結果、最後は破滅したからだ。世界中の金を独り占めしようとしたリーマンブラザーズは大きくなりすぎて、破綻した。

 世界を経済軍事で支配したアメリカは、そのドルと核で、自滅する兆しがみえてくる。また、食料の遺伝子組み換え技術の開発で世界最大手の米モンサント社、世界380カ所に事務所を展開するバイオテクノロジー分野の多国籍企業で、その日本法人、日本モンサント社の実験農場は茨城県南部の田園風景の中にもある。そこで、遺伝子組み換えされた植物が栽培されていることである。

 遺伝子組み換え作物は感染力が強く、インフルエンザのような感染症のように、世界中にはびこり、従来の作物は全滅してしまう危険をともなっている。

 しかも、害虫が食べないような作物にするだけでなく、遺伝子操作で、種を作らない、花粉も作らないようにする作物を作ることも可能である。もし、テロリストや自殺志願者のような科学者が製造したら、まさに自殺する生物兵器になりえるものである。

 このターミネータ種子にもなりえる遺伝子組み換え技術は放射能を使って行われている。日本では福井県には13基の原子力発電所がある敦賀市長谷の若狭湾エネルギー研究センターでも研究されている

 つまり、原子力と遺伝子組み換え技術は繋がっているのだ。もし、原爆を高度高く打ち上げ爆発させたら、死の灰は世界中にばらまかれ、あっという間に人類や生物は死滅させることもできてしまう。

 中東諸国では自爆テロがあるが、自分個人の自殺だけだと、そんなに被害は広がらないが、自分の死に世界人類の命をまきこもうとする輩もいる。世界を救おうとして世界を破滅に追いやる矛盾だっておきる。

 人の直感は権威有る科学者の安全という言葉よりも、確かなことも多い。難しい科学的なことはわからないが、原子力発電も、遺伝子組み換え技術も、金融商品も、自然から遠くはみ出た人の究極の欲望・・エゴ・・が、追い求めて、そこで作り出された放射能廃棄物、遺伝子組み換え作物、生物兵器、投資銀行は、ターミネータとなって、人類を自滅させてしまうような不安が直感的におきてくる。

 だが、こんな不安遺伝子をもっても、なんら良いことはないし、そうした馬鹿げた行為をやめさせることもできないだろう。

 麻薬に手を出す人に向かって、「自分を死においやるような馬鹿なことはやめなさい!」といくら説得しても無理であるように。また、国民を殺戮してまでも自分の権力を守ろうとする独裁者に、すぐに引退しなさいと説得することは無理である。

 欲望の究極は暴力である。それに暴力で抵抗することが一番危険である。柔よく剛を制すというように、暴力は自分で自分を破滅させるから、それを受け流すことであろう。

 リビア独裁者から、空軍兵士に国民を空爆する命令がうけても、それを実行しないで、他国に亡命したような兵士に習うことであろうし、そうした兵士を国民の側につけることで、自滅においやることが大事であろう。

 そして、人は自然の一部であるから、どんなに自然にさからっても、自然の力には及ばないことを実感し、信じることで、常に心に安心遺伝子を持つ方が得策である。

 どんなすぐれた研究でも、それを研究するのは人であり、そこに人間らしい人がいるもので、内部告発する人だっている。そういう内部告発者を応援し支えていくことが、欲望の電車が自然と止まることになっていくと思えるのである。

 

カテゴリー: 自然に生きる パーマリンク