このブログを書きながら、つい思いついたこと「お金のいらない日」を即やることにした。でも、参加者が少なく、支援者も少ないので、だんだんやる気を失ってきた。内心、こんな面倒なことしなくても、1人だけの格闘みたいなことは。嫌で嫌でしょうがなかった。
そして、今度の大震災だ。もうその情報に釘付けになってしまった。なんか自分の「お金のいらない日」のアイデアに自信が持てなかったが、「なあんだ、被災地では毎日お金のいらない日を実践しているではないか」と思いつつ、反応のないアイデアを自分が何もしなくてもいいのではないか? とまた逃げ口上に陥っていた。
と同時に、震災の前日から絶食ダイエットをしているが今日で20日で7キロ減量に成功した。次はリバウンドしないように、この体重を維持する。不思議だが、いろいろなダイエットをしたがまったく成功しなかった。しかも、長い停滞期に悩まされていた。そこで自己流にしたのだが、これがピッタシ予定通りの体重をコントロールできた。しかも、ほとんど苦痛もなく、快感の方が多く、さらに、長年の病気がいくつか治ってきたのにはびっくりした。
しかも、被災者の窮状と絶食生活がリンクできて、その支援物質に疑問が起こった。白米ではなく玄米、パンは全流紛、飲み水は塩が入ったスポーツ飲料に変えるべきだ。そして、栄養バランスのあるダイエット食品が被災者に必要だ。
こうすると、まさにピンチはチャンスになる。被災した食事にすると、以前より健康になれると思えたのである。なお、絶食でもっとも助かったのはとろろ入り昆布茶、緑茶で馬力がかなりでる。そして、なんと放射能防止する食事と同じ、ワカメと豆腐と味噌に熱湯を注ぐだけのみそ汁である。
まった調理を必要としないでそのまま食べられるものがよく、果物・豆・サラダでお腹一杯になれる。被災地にどうしてカロリーメイトを配らないのだろう? どうして白米と菓子パンなのか? 栄養バランスが悪すぎて病気になりやすいではないか。
こんな疑問を持ちながら、震災と原発事故にテレビとネットに釘付けだった。そして計画停電、これがいやにホッとする瞬間だ。人間らしくなれる瞬間だ。そのとき、今まで電気をつかってきたが、その電気の3割が原発かと思うと腹立たしくなってきた。そこで、家の電気は自家発電として太陽光発電にして、東電に高く売ってやろうという案がでてきた。車を買うくらいでできそうだ。
畑をしてよかったとつくづく思ったのだが、自然農をする福島農家が放射能で出荷停止になり自殺した人の気持ちが深く伝わってきた。農家にとって大地がすべてだからだ。不作や飢饉なんかはなんてことはないが、放射能汚染はその大地から去らなければならないからだ。これはこれまでやってきたこと、これからやっていこうとすること、それをすべて奪いさることなのである。
人は大地に生かされていることを忘れて、お金に生かされていると洗脳されている。これがそもそも原発推進の洗脳経済力である。
ここは山梨ではあるが、福岡原発と同じ構造が予想される巨大東海地震のど真ん中にあるのが浜岡原発である。これが同じ地震事故があったら、東京だけでなく、山梨も、住めなくなるので、人ごとではないのだ。
人は自然に無力であることは今度の震災ではっきりさせられた。しかし、人に対してはまったく無力ではない。自然災害は防げなくても人災は防げるのである。
世の中のことばかり考えていると、ほんとうに疲れてくる。そして、自分の無力さに泣けてくる。自分のことだけ考えていればこんなに楽なことはないが、それだけだと、何もしたくなくなるというジレンマがでてくる。
そこで、唯一最もパワーが出る方法を思いついた。
それが、「今自分にできることをすること」だ。
これに集中することが一番自分の心が安定することに気が付いた。
無力な自分を一歩先に歩かせる。それが希望に思えてきた。
たわいもない思いつきの「お金のいらない日」を次ぎのようやることにした。
家庭でいらないもの、眠っているものをお持ちください。無料でみなさんにあげます。
持ち込みなし3点、+持ちこみ数+震災義援金+浜岡原発即停止署名のセットで開催