娘の住む甲州市では、ゴミを細かく分別して収集している。
そして、うちの出るゴミの量のランキングをすると、
1.その他のプラスチック(ペットボトル以外の石油製品)
2.生ゴミとそれで汚れたプラスチックや紙類
3.ミックス紙
4,ペットボトル
5.ビン・カン
6.不燃ゴミ(電池・壊れた電化製品・粗大ごみ)
しかし、娘たちは分別をせず、1~3までをみな燃やすゴミにしている。そういう家庭は多いらしく、週3回あるのは2の分別していない燃やすゴミである。
この分別ランキングは、重さではなく、その量である。もし、重さで分類すれば、確実に生ゴミが一番になる。
生ゴミの処分については、庭がある家ではいろいろと工夫した。一番楽なのは蓋付きのバケツに生ゴミをため、それがたまると、庭の土を掘って、そこに埋め、土をかぶせるだだけで1週間ぐらいで処分できる。
そこで、不思議だったのが、どんなに生ゴミを捨てても、そのゴミは消え去って増えることはなかった。そのため、ベランダに大きな箱に赤土を入れ、そこに生ゴミを入れて処分していったら、赤土は玉になって、黒土に変化するが生ゴミの量は増えないで消え去るのである。
よく生ゴミを肥料にして、畑に返すというが、生ゴミ自体だけでは肥料にならない、赤土などのような養分をくっつける材料が必要で、養分をくっつけた黒土が肥料になる。
生ゴミのほとんどは水であるからだ。生ゴミを肥料にしたというのは扇風機で乾燥させたドライフラワーのような形が残った生ゴミということになる。乾燥させないで土にもどすと、生ゴミはほとんど消え去る。残るとしたら、あさりの貝殻や卵の殻くらいである。
そのため、ごみゼロは生ゴミだけだと実現できる。人間の出す糞尿にしても、土を掘って、土を被し、その土をまぜれば早く分解して、黒土になる。
コンポストやぽっとんトイレの悪臭がずっと漂うのはそのまま捨てて、土と混ぜまた土を被せないからである。
紙の処分をする上で、一番簡単だったのは薪ストーブだった。どんなに紙がたくさんあっても、すぐに燃やすと小さくなって、まさに消えてしまう感じになる。残るのは黒い灰である。でも、紙類がたんにパルプだけだったら、さほど変なにおいがしないが、添加物があると、頭痛がするほどの臭いがする。
これは毒物になって、たとえ灰になっても、肥料して使えそうにないように思える。
それに、紙類だけ燃やそうと思っても、どうしてもプラスチック類が混入してしまって、不純な灰と悪臭がでてしまうので、ゴミをゼロにしたり、肥料にするのは難しい。
プラスチック類を燃やすどうなるか?
低温で燃やすと塩素系のプラスチックが毒性の強いダイオキシンを発生させるので、高温の焼却炉で焼却するとかなりのダイオキシンが出なくなる。
しかし、ゴミの問題のすべてはその最終ゴミ処分地にある。もともと自然界になかった猛毒な化学物質が大地を汚染する。そこから、地下水に流れ込み、再び、動植物の身体に入り込んでくる。
ゴミ処置でもっともやっかいなものは石油からできたプラスチックである。その量は多く生産され、廃棄される。それは、120円のペットボトルでジュースなどを一回使って、飲んだら捨て去ることがあたりまえのようになっている。
これが世界中で、しかも、美しい南海の島々でも行われているのである。
石油製品のゴミをそのまま放置したら、また土に埋めたとしたら、どれだけの期間で分解するのだろうか? ペットボトルでさえ、約150年といわれているが、確かめられたことはない。
1991年 日本海溝の水深6270m の海底にマネキンの首が発見された。その周辺にはビニールのシートやその他のプラスチックゴミも散乱していた。その箇所はマネキンバレーと名付けられた。
この深海では半永久的に残ることになる。今や、海洋全体がプラスチックの海となっているのである。海洋表層に漂流しているプラスチック製品は、時間が経過するにつれ物理的外力や太陽光の紫外線により、破壊、砕片化、劣化、強度低下により、眼には見えないほどの微小粒子となるが、微小粒子となっても巨大分子としてのプラスチックの性質は維持したままの粒子として存在し続ける。このような微小粒子が魚類の幼稚仔や動物プランクトンにまで取り込まれている事が見出されている。
しかも、やっかいなことは、製品を造る過程で使用される様々な化学物質の影響である。いわゆる外因性内分泌撹乱化学物質である。一般には「環境ホルモン」と呼称されている
人も動物も、環境ホルモンにより女性化してくると言われている。
高温で燃やせばなんとか処分できるダイオキシンとは違って、その環境ホルモンは人工合成化学物質は生物の30~40 億年の進化の過程で生物が取り込んだ経験を持たないために、生物体内で薬物代謝酵素がどのように働いても排泄や無毒化することができないばかりでなく、さらに有毒な物質を誘導し、それがジワジワと地球規模に影響してくる。
もっとも、人類にとってもっとも驚異になるゴミは原子力発電から生まれる放射性ゴミである。それが、発電されるときにも、その最終処分地も決まらないで生産されている。そして、その毒性が続くのは数万年である。
私たちの未来の子供たちが数万年もこの放射能ゴミで苦しめられることになる。
環境問題解決における3Rがある。
1,リサイクル(Recycle)
・サーマルリサイクル(廃棄物を「燃料」として利用する)
・マテリアルリサイクル(廃棄物を「材料」にして、別の製品を作る)
2,リユース(Reuse)・・洗浄したり修理して“もう一度使う
もっとも大事なことはこの
3.リデュース(Reduce)・・必要のないものは買わない、使い捨てのものなどゴミになりそうなものは使用しないである。
それをさらに一歩進めて、
さらに、ゴミ処理を自治体や家庭に任せるのではなく、
ドイツのように、その生産者が消費されたその製品を引き取る責任を負うことである。そうすることで、数十年も自然に分解できないゴミを生産しないようにする。
質量保存の法則は、人類が作りだす化学物質にもいえる。数十年も分解されない製品を作り出すと、それが親子孫何代にもわたって苦しめる原因になる。
いったい、プラスチックの便利さ、そして、その腐敗しない強さはどこからくるのだろう?
石油が過去地球に栄えた恐竜や植物の死骸が地球の変動で圧縮され、固められ、その遺産は今の地球人をこの100年で数十倍にも増やさせ、大量生産、大量消費、大量のゴミを、大地や海や空にまでまき散らしている。
恐竜が絶滅したのはどうしてだろうか?
その死骸である石油が今の人類に同じ過ちを犯せようとしているような気がする。
恐竜が大きくなっていったように、人の拡大生産をどこまでも続けたら・・・次にくる世界は見えてくるように思える。
私がかつて住んだことがあり、友人が多く住む北社市明野町でも最終処分場が稼働を始め
色々な問題が取りざたされます。今時、埋めてしまえというのもどうかと思います。しかも自然に分解されない産業廃棄物の最終処分場ですから。例えばドイツでは、現在の技術で処理できない有毒物質は厳重に保管して、未来の技術に託すという方法もとられています。
しかし、企業に高負担を求められない日本の行政ではおよそ不可能です。
そもそもの入り口を閉めてしまえばいいとも思うんです。分解できないゴミが発生するものの生産を抑える。禁止する。原発を含め。日本の企業は努力家ばかりだから、放射能の無毒化技術さえ手に入れることは可能かも知れない。そんな技術の開発コストを考えると地熱、風力、波力発電を進めた方がよっぽど効率的だ。今の物質主義かつ成長志向の価値観のままでは、分解されないゴミですら、埋めて目に見えさえしなければよい、という考えにしか至らないのでしょう。
うちも、プラスチックゴミ、多いですよ~。
お豆腐を、容器持参で買いに行った事無いんで、
ブラの容器に入ってるの自然にしか感じ無いし。。。
中でも、ペットボトルですよね。 これ無くなったら相当違う。
紙パックのジュース買う方が、まだましなんだろーな。
ふた締まる紙パックジュースもっと有ればいいのに。
今、叫ばれている「eco」とはなんなのでしょうね。
廃棄物やリサイクルの問題のほうが遥かに優先度高いと思うのですが、日本では「eco」の為には電化製品や車を買い替えないといけないらしい。
それを政府が後押しする(エコポイント、エコカー減税)政策まである。
一昔前の「大量生産、大量消費」を見直そうとした動きは何処へいったのか。
CO2削減に大義なんてないのに大袈裟に騒ぎ立てて皆を騙し金儲けする「eco」ビジネスを国を挙げてやってる場合ではなく、未来に向けてゴミを出さない物質循環社会を国を挙げて作り出していかなくてはならない時だと思います。
「人間社会の物質循環を制御し,自然の物質循環に繋ぐ
http://sun.ap.teacup.com/souun/2299.html#comment15488、
>分解できないゴミが発生するものの生産を抑える。
映画で、「細菌兵器」が完成できたという場合は、その細菌兵器のワクチンをも同時に開発しないとなりません。
分解できないゴミを作るような生産は不完全技術で、薬と同じで、それを政府は許可をしてはならない。
薬は厳格なのに、原子力ゴミを進めるのはおかしなことですね。
>うちも、プラスチックゴミ、多いですよ
包装紙にこれを使うのは安価で、強く、作りやすいからでしょう。でも、その処理を考えると、効果でとても不便なんですね。だから、ガソリンに税金をかけるように、プラスチック製品には多額の税金をかえて、その税金を廃棄物処理の研究と費用にするべきでしょう。
あのソマリアの海賊は、先進国の産業廃棄物を監視するためだったということを知って驚きでした。
>「eco」ビジネスを国を挙げてやってる場合ではなく、未来に向けてゴミを出さない物質循環社会を国を挙げて作り出していかなくてはならない
本当に逆なんですね。エコは節約であり、ゴミ(無駄)をなくすところにお金を使う政策(ビジネス)ですよね。