共有通貨も考えた

目標通貨の場合、自分のお金の半分をいさぎよく、仲間すべてに分配する気持ちがないと成立しない。

この場合、自分が目標通貨の仲間に対して、ベーシックインカムとしてもどる金額と仲間の共同貯金に振り込む額とが同じになれば、参加は無料ということになる。

しかし、仲間の共同貯金に振り込む額が自分の目標通貨預金に振り込まれる額よりも多い場合は、有料の参加になり、かつ、寄付金を支払う結果になる。逆に、共同貯金に振り込む額が自分のベーシックインカムとして振り込まれる額よりも少ないと、生活保護を受けた状態になる。

人の心理というのは、自分の財産を増やそうとするのが自然であり、共有の貯金に対して、最低限、利子はいらないから、元本だけは保証してもらいたいと、願うのが普通である。そのために、投資して自分の財産を増やそうとするのが自然である。

しかし、共有の貯金が自然と増えない限り、それはありえない。むしろ、お金の管理や事務で、経費がかかるから、必ず減ることになる。

そのため、共有の貯金に振り込むことは、「喜捨する」、「寄付する」という覚悟でないと、不満が残る。共有の貯金というのは国家でいえば、税金のことである。自分が払った税金はその額以上のことは期待できないし、金持ちであるならその税金は喜捨したと考えた方がいい。まったく税金が払えない人は他の人の税金から食べさせてもらえると思っていい。

 お金は自己の財産であれ、共有財産であれ、持っているだけで、その価値は少なくなるというのが、自然の原理である。 それはお金が食料だとすれば、貯蓄すれば必ず腐ることは確実な現象だからである。

 この自然原理を無視した年金制度や投資会社を作ると、確実に、格差社会になり、金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏人になる。それはお金の総額(生産総量)が一定の場合、金持ちの金を増やそうとしたら、貧乏人の金をさらに減らそうとしないと成り立たない。誰かが得をすれば、必ず誰かが損をする。お金を食料だとすると、自分の食料の取り分を多くしようとすると他の誰かの食料を奪うことになる。

 これが、資本主義と自由主義の法律である。もし、お金をうばいあって、競争して全体のお金を増やそうとしたら、それは自然をさらに破壊せざるをえなくなり、自然循環はできない。そのため、いずれ、環境問題が大きくなって、資本主義と自由主義経済は崩壊する。 今はまさにその転機である。

 そのため、自分が生きるために必要なお金以上のお金を共有通貨(税金)として手放さないと、社会も自然も崩壊する。しかし、自分の財産を手放すことは一銭でもなかなかできないものである。それはタバコのように、お金中毒にかかっているからだ。自分のお金を増やすことが自分が安心して生きられることだと思いこんでいる。タバコを吸わないと不安でしようがない、タバコがないと生きていけないと思いこんでいるようなもので、投資中毒症になっている。

 保険は何か災害や事故などにあった場合に助けてもらう保証である。しかし、この保険は自分が支払った額以上のことを必ずしてくれるとはならない。これは確率論である。宝くじは当選者が幸運者だが、保険はその保証金は不幸な者に対してである。

 宝くじも保険も、その加入者が支払った総額から経費分・給与分を引かれて、その残りの金額を数万人に一人に対して分配するだけである。すなわち、多くの加入者は損をして、一部の加入者は大きな得をする。保険会社は預かったお金の総額をさらに増やそうとして投資会社に委託して増やそうとするが、それは確実に、世界の貧富の差を広げることになる。そして、自然環境を破壊し、災害が多くなって、保険会社は破産し、その保険金は支払えなくなる。

 しかし、自分のお金が増えれば、増えるほど、安心であり、とてもいいことだと、信じ込んでいるので、このお金の妄想から抜け出るのは容易なことではない。この妄想から抜け出るには、ちょうどダイエットをするようなもので、自分が生きていくだけの最低必要カロリーだけを摂取し、それ以外のカロリーはとらないことが自分を常に健康で快適な状態にできると信じることにある。

 お金の過剰な持ちすぎは、自分の身を危険にする。もし、余ったお金を貧しい人に与えれば、将来きっと自分が貧しくなったときには金持ちがきっと助けてくれると、因果応報を信じることにある。もちろん、因果応報を保証する社会かどうかを監視し、参加して、常にそれが信頼がおける社会かどうかをみなくてはならない。

 この共有財産を信頼おけるものにするにはお金がきちんとみなに回っているかどうかをその証拠を見せる必要がある。

 この基本原理が、「仲間同士で無利子でお金を貸し借りする」ことであろう。お金自体はそこに書かれた数字はどんなにお金が回ろうと、その数字は変化しない。このことが、信用する上でもっとも大事になる。その数字がプラスの数字になったりマイナスの数字になったりしたら、それは信用されない。それは価値を計る基準値であるからだ。

 お金が単なる食料であったならば、確実にその価値は減価する。しかし、お金が人の需要が増える食料であったならば、確実のその価値はあがる。しかし、その食料全体の総量が毎年安定した生産ができ、かつ、その食料総量に合わした貨幣が用意されるならば、価値の増減はほとんどない。

 これがお金の貸借関係にも反映する。自然循環に合わせた生産とそれに合わせた貨幣の製造をした場合、もっとも、貨幣が循環する場合はゼロ金利である。しかし、環境破壊する大量生産・消費と廃棄をするなら金利はプラスになり、環境破壊された自然をとりもどそうとする場合(金融危機・不況)は、金利はマイナスになる。

 生存可能な自然循環を理想とするなら、その目標を達成するには金利ゼロがもっとも適応する。そして、生存維持可能な自然環境を守るには、土地に対する権利を確保することがもっとも効果がある。その土地の所有者であれば、その土地の環境を破壊させない権利があるからだ。

 そもそも、土地から衣食住が生産される。この土地のすべての権利を持っているのが、その国である。国とはいわばその土地の所有者であり、また管理者である。国とはその土地に住む人すべてが共同で管理する団体ともいえる。

 そこで、共有通貨を考えた。

 目標通貨だけだと、自分が共同貯金に振り込んだ分(元本)が、将来自分が必要なときに目標通貨貯金にもどってくるか、不安である。しかも、目標通貨NPO団体が信用できるかどうかも不安である。また、そのNPO団体が本当に自然循環する経済に向かっているかも心配である。

 そこで、自分が投資元本がどうなったか、それがどのように生かされているか、目に見えるようにする必要がある。それが、不動産投資である。この不動産投資を共同で行い、その土地の自然を管理する力を持つことである。そのため、共有通貨とは共有土地をもつということになる。

 そして、その土地を仲間に貸して、その貸料を目標通貨の共有貯金に入金させることである。共有貯金に入れば、規定で、その半分がベーシック・インカムとして、仲間すべてに分配されるから、金額が少ないが、少しずつ回収できることになる。それはいわば、働けるときに働き、働けなくなったら、過去働いた分が返ってくる年金制度みたいなものである。

 今の世界を支配してのは投資家である。彼らは今の貨幣制度の欠点を利用して世界の金を独り占めしようとした手段は金融商品からである。

 この金融商品である「不動産、株、債券、為替などの差益」をねらって、所得格差を広げている。その所得格差を少なくさせ、分配をするには、現在の貨幣の欠点である、この金融商品を良点にひっくり返すことで可能になる。

 そのためにはこの金融商品を全部共有財産にすれば、その差益をうばいあう必要はなくなる。投資家はそれを自分で独り占めするが、共有財産になれば、分配せざるをえなくなる。

1,共有通貨とは

 目標通貨の一部分を共有通貨として集め、それで土地や建物などを買って、その家賃収入をみなで等しく分配する。

2,共同で買う不動産は会議で決め、それは全員の過半数の投票で決める。

3,その共有通貨は購入する不動産の総額を加入者総数で割り、それを一口とする。

 それは強制ではなく、自分の資金に合わせて、何口でも投資でき、また、資金がなければ投資しなくてもかまわない。

4,その土地の名義はNPO目標通貨団体名義にする。

5,この共有通貨の割り当てた一口の単位を自然 nature とし、1nで表す。

 こうすることで、共有通貨の目的が自然循環であることを忘れなくする。

6,共有通貨は不動産購入に限らず、株や為替や債券でもかまわない。

 自然環境事業を起こす会社の株や、食料自給率をあげる会社の株などの購入、また、海外の貧困な国を応援するような債券を買うようにしてもいい。

 債券はその利子をかせぐのではなく、その国が債券でつぶれなくし、支援するためのものである。もし、利子がでれば、その利子をその国へなんらかの無償援助をすればいいだろう。

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 いわば、寄付金を世界共有の財産にしようとするのが共有通貨である。

 2009.7 

 

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