2009年6月11日、月の周回衛星「かぐや」は1年9ヶ月の任務を終えて、制御落下した。
手前は雲ではなく、月の表面の山とクレータである。
真っ青な地球、水の覆われた美しい地球、命そのもののような地球、
いとおしく、胸がキュッとしめつけられる姿をしている。
2009,2,10地球のダイヤモンドリングが撮影された。
地球からすれば月食時であるが、月からすれば日食時である。
子供のときから、どうして地球の自転と月の公転は同じなのだろうか?と疑問をもっていた。
そのため、月の裏側は地球から見られないが、今では「かぐや」が月の裏側を詳細に見せてくれている。
そして、ある時、月と地球を串刺し、さらに、太陽とも串刺ししたら、なんとなく、納得した覚えがある。
つまり、親子孫の関係が、太陽・地球・月のように思えたのだ。
今、宇宙ステーションに若田光一宇宙飛行士が滞在しているが、
長期滞在のため、自分の出したおしっこをまた水のもどして飲んでいる。
まさに、宇宙ステーションは宇宙空間の閉ざされた世界である。
地球もまた宇宙空間に漂う閉ざされた地球号ではないだろうか!
そのため、人類が生産消費して出したゴミはもとの衣食住になる自然の素材にもどしてこと、人類は地球に永く生きながらえることができるのではなかろうか!
宇宙ゴミがたくさん廻っており、その危険度はロシアの衛星が爆発してから増えてしまい、それが宇宙ステーションにぶつかる危険性は何度も起きている。宇宙にゴミは捨てたら、そのゴミで人類は命の危険が増えるのである。
サハラ砂漠のギルフ・キビールの岩絵に、1万年前に描かれた「泳ぐ人」がいる。そのころ、サハラ砂漠は緑あふれる大地であったことが忍ばれる。
地球の砂漠化が進んでいる。温暖化を防ぐのはもちろんCO2を出さないことは必要だが、CO2を緑で吸収することも必要であろう。
そこで、考えた。
地球の水の循環をまねて、大がかりな人の手による水の循環プロジェクトである。
サハラ砂漠は標高平均300mであるから、海の海水を500mくらいにあげて、サハラ砂漠に向かって流す。
そして、その巨大なホースは3層にして、上が水蒸気、通常の海水、塩度が濃い海水になれるような技術を開発して、最終的に海水がサハラ砂漠の高地に届くようになると、真水になって、砂漠に水を散布する。
このエネルギーは太陽エネルギー、風力エネルギーを使えばいいのではないか。
エネルギー問題で、忘れられているのは月のエネルギーではないだろうか?
月の引力によって、海水の満ち引きがあるが、その差(仕事量)は巨大なものである。この海水の満ち引きのエネルギーこそ、月のエネルギーではないか。
地球の水の循環が海から山に向かっていくように、それを人間の技術で、可能にできるのではないか、また、地球を砂漠化した人類の責任ではないだろうか。
また、人類は海の栄養分たっぷりの汚泥を捨てるが、それを砂漠の肥料としてもどすことで、海も砂漠も助かるのではなかろうか。
宇宙ステーションでは、自分のおしっこを真水に変えて飲むように、宇宙船地球号も人類の汚水を人類の故郷アフリカの砂漠に真水と栄養素を返す必要があるのではなかろうか。
地球のしわ
地球が薄い皮のように、つねに近く変動して、海の底はそこにたまった栄養素とともに、隆起して高い山になる。
これを数億年毎に繰り返している。
つまり、それと同じことを人間はすることによって、自然に生きられるのではなかろうか、
この海の栄養と水を砂漠化した陸地に返すことは、海の底を大地の山にすることではないだろうか!
意識はエネルギー 物質全てにエネルギーがある
地球も宇宙も全部意識がある私たちも
一人ひとりの 意識 がまずはじめ
何を最初に見るかが肝心かなと最近感じます
形でなくおかげさま、感謝をまず見るように頑張ります
>あ さん
昔のありがとう広場からの読者ですね、
今もなお、読んでくれてありがとうございます。