最近、屋根から落ちて、かなり弱気になったのかもしれない。どんどん前に進むのが私の性分だったのだが、ふと、残された自分の命を計算すると、あまり冒険しないで、今の研究課題だけに絞って、それ以上のことはしたくなくなる。
しかし、昔からの課題だった、「自分で家を造りたい」というきっかけが突然やってきた。きっかけとはタイミングでもある。
これまでの人生を振り返ってみると、「きっかけ」というものが、いわば一期一会のような「出会い」みたいなもので、その機会=タイミングを逃すと、その実現はずっと後になり、下手すると実現しないで一生終わってしまう。それで、人生を後悔するはめになることだってある。
きっかけとはタイミングだけでなく、パワーにもなりえるものだ。もし、家造りが自分だけの趣味だったら、そんなにパワーもやる気もでない。それが人のためになるものだったら、よけいにやる気がでるものだ。
そのきっかけというのが、「もし私が家を造ったら、そこに住みたいという友人が現れたことだ。しかも、その友人が家造りを手伝ってくれるので、まさに絶好の機会到来である。友人は母が亡くなり、独りになったため、3dkの月16万円のマンションから1dkの月5~6万円の安アパートに引越しせざるをえなくなったからだ。どうせ引越するなら、同じ家賃を私に払った方がいいというわけである。
もう一つは娘が来年東京の大学を希望しているので東京に住まいがあった方が楽になるからだ。
きっかけができたので、いざ、自分で造れるように設計する上で、もっとも困った問題がまったくの建築の素人であり、知識も技術も経験もないことだ。もっぱら、ネットと近くのホームセンターをながめることだけである。
便利屋時代、ログハウスを造ることを夢見て、ログハウス募金箱を設置しただけで終わった。今思えば、それは土地とログハウスキットを購入すればできたように思うが、そんな金も知識もなかったので夢倒れだった。それから30年の月日がたって、ログハウスだけでなく、仮設住宅もできるという確信をもった。
それをコンテナ倉庫の上に載せてしまおうというアイデアが、今回のきっかけで生まれた。そのためには、鉄骨をうまく組み立てる必要があり、そして、東北関東地震の規模でもつぶれない強度のものでなくてはならない。
実はプロにそれに近いものを依頼したことが数年前にあるが、それはみな現在のコンテナ倉庫を撤去する前提で設計されたので、そく没にした。プロは自分の得意の分野でしか設計建築できない、お客の意向をほとんど無視して提案して終わってしまう。プロは金がすべてなのである。
もし、私の建築の目的が金であったら、プロにまかせただろうが、素人の私はあくまで自分のハンドメイクが目的である。
いわば、小さな冒険が素人建築家には苦労は多いが、そこに楽しみも多く見いだすものである。巨大な機械や、大人数で建築するのではなく、二人の手作業と簡単な道具だけで建築するのが楽しみである。
そういう方針で設計考案していくと、「もし失敗したら、大量のゴミの山になってしまう」とびびってしまった。そこで、「もし失敗してそれがゴミになっても、再利用できる設計」にすることで、造る自信を回復させていった。
鉄骨でも二人で持てない材料はけして使わない。組み立てに失敗しても、ボルト止めにして、分解再組み立てが可能にする。補強は後でいくらでもできるようにする。
そんなモットーを持つことで、弱気になった自分のけつを押している。冒険しなければ、確かに楽だ。ただ、すぐに老けてしまうだろう。「若いときの苦労は買ってでもした方がいい」というが、これは何も若いときだけではなく、いくら歳をとってもそう思えるのである。
いつでも苦労は買ってでもした方がいい、苦労の裏には歓喜の笑いが隠されているのだから。