迎春2012年

 昨年にどんなことがあっても、新しい陽日を迎えて、おめでたいことだ。
 新たに引っ越してきたところは、新年を迎えると、打ち上げられた花火がよく見えた。
 その時、テレビの東京放送が「ボレロ」の演奏がちょうど終えて、パーンと花吹雪をあげた。窓をあけると、ゴーンと寺の鐘も鳴っていた。

 ずいぶんと風情のいいところに引っ越してきたもんだ。世の中全体が新年の歓びにしたっている感じがよく伝わってくる。

 紅白で、長渕剛が放射能に汚染された福島にみんな帰れることを信じているといった。人の技術と努力を信じていると。でも、こんなに大量にまきちらかされた放射能を回収し、それを福島に一時保管できたとしても、日本のどこかにそれを10万年以上も地下深く漏れ出さずに保管させることができる技術ができるかは疑問である。放射性廃棄物の保管は技術では無理で、いくらか漏れだしても安全だと思える場所は地震国の日本国内にはないだろうから、海外に助けを求めるしか道がないように思える。
 
 海外に助けを求めるためには、もうこれ以上の放射性廃棄物を造らないことは必須の条件になるだろう。

 日本は核の被爆、原発の被災の国として、核と原発の廃絶を世界に訴えことを率先的にする国としての責任があると思える。

 次は世界的な金融混乱の問題だろう。自分たちが造った貨幣システムに翻弄されている。元々貨幣は国が製造してきた。ところが、多くの先進国が借金が膨れあがり返せなくなっている姿は異常である。どうして、金を造る国が、借金で破産する貨幣システムを造ったのか。その病的システムに問題があるのに、どうして、新しい正常なシステムに換えようとはしないのか、不思議でならない。

 今の金は放射能と同じで、どこにも捨てるところがないからだ。生きているものすべてに寿命があり、生死を繰り返すように、どんな物質も宇宙と同じく、生成と消滅を繰り返す。

 人の生活の第一の糧は食料である。どんな食料にも賞味期限がある。それをすぎれば毒になるか、消え去る。しかし、金は違う、通用期限がないだけでなく、金の貸し借りで無限に増え続け、消え去ることはないのは不自然であり、それは科学ではなく、迷信である。

 どうしてそんな迷信を捨てて、新しい通用期限がある貨幣にしないのかが不思議でならない。

 今消費税の大増税を政府はしようとしているが、たとえ、倍にあげたとしても、そのほとんどは国債の返済のあてるためだ。それが社会事業に回るのはわずかである。それで毎年10兆円返済できても100年以上かかる計算になる。これは病気の原因を治療せず、上辺の症状だけを抑えるだけで、何の治療効果は期待できない。

 借金システム自体が病因なのに、借金を返すことに全力をあげるなんて、まさにインチキ呪い師の呪術と同じである。「借金を返さねば国は潰れるそよ」と説得する野田呪術師である。

 3つ目の問題は、食糧と自由の問題である。TPPの問題は貧しいアフリカのある農家の現状に照らし合わせることができそうだ。自分たちの食べ物であるトウモロコシを栽培せずに、海外に輸出して金をたくさん得るために、コーヒー豆を栽培する方針と同じであろう。

 人が自由になるためには自立は不可欠である。自立できないと、他に依存せざるをえなくなるからだ。

 人の自立は、国においては自給自足である。自国の中だけで国民すべての食料が足りるようにすることがまず大事である。それが成り立って始めて、他国との自由なる協力関係がなりたつ。

 もし、他国に食料を依存したら、もし、他国のいうことをきかないなら、食料を輸出しないと脅かしされる。また、世界的に人口爆発であるから、食糧難も予測できるので、いつでも、他国から食料を輸入できると信じることは、自国の自由と尊厳を失う結果になるだろう。

 4つ目は健康問題である。国民の死亡原因で、病気で亡くなる人は毎年78万人いるが、それに比べて寿命で亡くなる人は、毎年たった5万人しかいない。昨年の震災で亡くなった方は2万人でびっくりさせられたが、病気で毎年亡くなる78万人にはほとんどびっくりしないのは変である。
 大きな戦争でも毎年78万人の日本人が亡くなることなんておかしい。しかもそのうち、癌で亡くなる方は35万人もいる、

 それは今は癌戦争なのである。癌よりも昔は結核で多く死んでいたが、ペニシリンの発見で、結核死亡者は激減したが、逆に癌による死亡者は加速度的に増え続けている。身の回りでも、著名人でも多くが癌で亡くなるが、治す治療技術はまだない。

 まさに結核が癌に替わっただけで、病気で死亡する人は相変わらず多いのである。これが医学の現状だとしたら、なんとも情けない技術ではないのか。

 インフルエンザのワクチンのいたちごっこみたいに、ある病気を治すと、別な病気が出てくる。それを治すと、また新しい病気が出てくる。このいたちごっこの医学は根本的に問題があるのではないだろうか。

 自然農を研究すると、細菌を殺す農薬に疑問が生じてくる。農薬と植物もいたちごっこで、新しい農薬ができると、それがまたきかかくなると、また新しい農薬を造るという繰り返しがしているように思える。

 癌を殺したり、切っても、他に転移するのも、またいたちごっこである。まさに、復讐の悪循環のようなのが、農業でも医術でも行われている感じがする。

 これからは、そうしたいたちごっこをしないような技術が、ヨーグルトの善玉菌とそのほかの悪玉菌との関係にあるように思える。放射線や殺菌剤では、悪玉菌も善玉菌も両方殺してしまうから問題になる。どんなに医学が進もうと、悪玉菌だけを殺すことは不可能である。細菌にとっては悪も善もないからだ。

 腸内の健康を保つには悪玉菌よりも善玉菌の数を増やすような技術に期待ができるのである。それは人でも同じで、悪人を死刑にしたり、懲らしめたりするよりも、善人に対する援助と協力をすることで、善人の数を悪人よりも多くした方が、世の中を安全にしやすくするのではないだろうか。

 人の才能だって、欠点を指摘するより、良点を褒めた方が伸びて社会的に役立てるではないか。

 悪玉菌をしかるよりも、善玉菌を褒めてあげるのが、これからの医学技術になるのでないだろうか。

 今年はこの4つの方針で自分の生活を築いていきたいと思う。
 
 

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