3/11みんな違ってみんないい日、自然に生きる日に

 もう1ヶ月で東日本大震災の日3月11日になる。これは世界的にも大きな衝撃を与えているし、今後日本の歩む道の指針になるだろうと思えるので、この日を毎年、正月やお盆と同じように決意を新たに「復興の日」にしたらいいと思う。その日は仕事や家事を休んで、社会の「ボランティの日」にすると最高だ。

 私自身はこの日を「公私バランスの日」にする。というのは、お金の問題を3年間追求した結果、「e中銀券」「みすずカード」の発想を得た。

 そこで、この日を一般的にするには、金子みすずの詩を連想して、3月11日を{ミんなイイ日」にしたらどうだろうか。その中味は「みんな違ってみんないい」の意味で、みんな違ってというのは公私の私にあたり、みんなイイは公私の公にあたる。これは公私を同格を意識した、とてもいい詩である。

これは昔の瓦理論の公私のバランスを「2:8に」するかどうかを迷っていたが、それが「お金の公私のバランス」を発見して、公私バランスが「5:5」になるのがベストだという答えに達した。

 これは、もし1万円のコインを持っていたら、コインの表が自分のモノの1万円の証明であり、コインの裏が公のモノの1万円の証明であることを示しているということと同じ考え方である。

 通常は「自分は生きている」と思っているのは表向きであり、その実は「自分はまわりに生かされている」というのが真実である。

 問題は「公とは何か?」である。公とは常識的には自分の身の回りの社会全体を指す。そうなると、私の公と、エジプト人の公とは違うことになる。

 そのため、私の公とエジプト人の公を同じ存在にするには、公を地球にすればいい。

 しかし、多くの問題が言葉の使い方で起きている。それは私の言葉とエジブト人の言葉も違うし、同じ日本人同士でも、言葉の使い方が違うので、その使う言葉の意味を両者が同じとはならない。

 実は、最近友人の家に泊めてもらった。しかし、そこは天上まで積み上げられた荷物が二部屋一杯に並べられていた。倉庫ではない、月7万円の家賃を払っている2DKのアパートである。

 その荷物といったら、壊れたギターが7つ、ゴルフセットが数十本、オーディオが数十もあるといった。数十年もさわったこともない品物ばかりが天上まで積み上げられ、トイレにもなかなか入れないほどだった。

 こうしたギターやゴルフセットは、私や多くの人にとっても、ゴミでしかないものだが、本人にとっては、自分の空間よりも大事な宝物である。ギターはギターではあるが、ゴミと宝物の意味はみんな違うことになる。

 こうした言葉の問題をクリアするには、具体的な事物や事象を共通して使って話をし、けして、抽象的な言葉(存在を確認しにくいもの)を使わないで話をすることである。

 公私の私は個人のことで具体的な実物であるが、公は、その存在が確証しにくく、かつ変動する個人集合体であり、まさに抽象的な言葉である。

 また、公を国にしたとしたら、日本人にとっては公であっても、エジプト人にとっては公ではなく、逆に私にあたって、意味が逆転してしまうことになる。

 抽象的な意味でもっとも公に近いのが「神」「仏」である。しかし、そうした神や仏の意味は使う国によっても、また各個人によっても、みな違った意味と存在にとらえられている。

 そのため、宗教はお互いに争うが、けして統一して平和的に手を組むことはありえない。

 そのため、公私の公はどんな人間でも同じ意味として具体的にとらえられる言葉は「地球」である。私は個人のことであるから、

 公私とは「地球」と「個人」のことである。

 国が北朝鮮のように私物化されていると、それは公ではなく私になる。日本でも政治が私物化され、党派喧嘩するのも公ではなく私であるといえるだろう。

 そのため、公私の公は常に地球であるということで、そのバランスが「5:5」にすることが経済的にも、精神的にも、ベストバランスになる。地球と個人のバランスが5:5にしたときを「自然に生きている」といえるだろう。

 3月11日を「みんな違ってみんないい日、自然に生きる日」にしようではないか!

 

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