労働を義務化した考え方に、「働かざる者は食うべからず」がある。
日本国憲法では国民の三大義務として、教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)がある。
「教育の権利と義務」
1,すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2,すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
「勤労の権利と義務」
1,すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2,賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、労働基準法でこれを定める。3.児童は、これを酷使してはならない。
「納税の義務」
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。
義務とは権利に対応するものであるが、納税だけに義務があって、権利がないのは変である。これは税がお金であり、そのお金そのものに矛盾が含んでいることからおきる論理的矛盾である。
納税の権利をいうと、それは寄付する権利になるが、寄付する権利に対応する寄付する義務はないので、やはり論理的矛盾をおこすことになる。
これらの三大義務全体がよく考えるとおかしな矛盾が多いことに気づく。ちなみに、それ以前の大日本帝国憲法では、臣民の三大義務として、兵役の義務・納税の義務・教育の義務があった。兵役の義務が勤労の義務に置き換えられたことになる。役人のやることはしばしば言葉の言い換えがあるが、本質的には変わりないことが多いが、この兵役の義務と労働の義務もまた同じ本質があるように思える。
「兵にならざる者は非国民とみなす」=「働かざる者は食うべからず」
それに企業や公務体質が、軍隊体質とそっくりなのも、ここからうなづける。
こうした権利と義務は、自由と責任と言い換えることができ、論理的矛盾をとくカギとなる。
勤労の権利と義務を、勤労の自由と責任に言い換えると、「働かざる者は食うべからず」ではなく、「働きたい者は食べる責務を負う」になり、「食わざる者は働くべからず」になる。
自由主義社会を基本にするならば、国民の三大義務を法定化するのではなく、国民の三大自由を法定化すべきである。
すなわち、教育の自由と責任、勤労の自由と責任、納税の自由と責任である。例えば、納税して議員を雇ったら、その議員が国民のために働かせる責任をもたなければならないということになる。
そして、勤労の自由においては、「食わざる者は働くべからず」であるから、国民が自由に働ける環境をまず与えることが政府の義務になり、国民すべての最低生活保障であるベーシックインカムをすることが必須条件になる。
かように、「権利と義務」という意識から、「自由と責任」という意識改革をすることから、新しい日本自由国平和憲法を制定しなおそうではないか。