震災1年復興元年

 被災地を上空からみると、山を切り崩して、その土で被災地の瓦礫や放射性物質を埋め込んだらどうだろうか。高台に引っ越すとなると、残った瓦礫や土地はそのままになってしまう。放射能物質を畑から取り除くために、それを吸収するようなものを蒔いても、土に入り込んだ放射能物質は無理である。

 放射性物質はどこにも持って行き先がないのだから、それを深い土中に埋めるしかないだろう。そのためには、深く穴を掘り、そこに放射能汚染瓦礫や土を埋め込み、土を入れ替える。さらに、山を切り崩した土で盛り土して、高台にしていったらどうだろうかと思う。

 また、海岸に地下水から漏れだした放射性物質の危険性があるので、海岸は放射性物質を吸い出す藻を栽培したらどうだらうか。その藻は乾燥し、コンクリにとけ込ませ、やはり地中深く埋め込むしかないのではないだろうか。

 その復興資金は国が復興電子マネーを必要なだけ発行し、長期の35年間(年3%)の復興税を銀行預金残高(復興に使った復興電子マネー)にかけて、回収すれば、日本全国民で復興を助けることができる。

 こうした復興事業は地元民を雇用することも大事だろう。

 原発事故は世界的な問題であり、もう原発を稼働させすに即廃棄することを決断することは当然であり、それに代わる再生可能な自然エネルギーを推し進めるしかない。

 今、太陽光発電が、一種の酸化鉄の塗料を塗るだけで発電できるので、その塗料を樹木の葉に塗り、そこで発電された電気を葉から幹そして、根に集めて利用していけば、原発や火力発電に代わることができるように思える。

 こうした復興へに向けた話し合いにはかなり感情的になり、うまくいくものもうまくいかなくなることも多い。

 人は言葉よりも心を大切にする。それは、言葉をそのまま受け入れてはいけないという意味でもある。言葉には真実も、嘘もある。そのため、全部そのまま受け入れて判断してしまないで、その言葉の言い方や、表現から、その心をくみ取ることが、理解と実行にはかかせないことだ。

 最近、娘ととくに喧嘩することがあるが、それは言葉の中身よりも、話し方が喧嘩の原因になっていることを発見した。

 言葉と心とは違うだけでなく、反対になっていることだってある。素直にイエスといいたいのだが、あまり攻められるのでノウと言ってしまうことはよくあることだ。

 復興したいことは共通の目的ならば、かならず人は協力できるはずである。話し方がお互いの承諾にはかかせないことであろう。

 

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