ベイシック・インカムとワーキングシェアは社会の両足だ

 公営のプールや温泉に行きたいときが、なぜか、休みの月曜日になってしまう。会社勤めの娘が郵貯銀行口座を開きたくても、平日でしか受け付けていないので、なかなかできないでいる。

 勤め人の休日が同じだと、同僚と遊べるにはいいが、お客からすれば、毎日営業していることの方が助かることが多い。

 公私理論の安定比率が5:5が一番高い。これをお金の仕組みに発展させたのが、私的なプラスの利息付きの中央銀行券に対して、公的なマイナスの利息(税金)付きのe中央銀行券である。その発行比率もやはり5:5が一番お金が順当に廻る。

 私的な中央銀行券の配布先が利潤の高い投資先であるのに対して、公的なe中央銀行券は、その配布先が直接国民すべてに、最低生活費としてのベーシックインカムをする。

 このベーシックインカムは、国民を甘やかして、労働意欲を失わせるという反論が根強くある。子育てをする場合、親は子に対して、自立をうながすために、二十歳になったら、お金の援助を一切しないようにして、自分で働きお金を稼ぐようにもっていく。

 これは、何もしないことが自然の流れを促進することにつながるからである。自然農法は何もしないことが理想である。私の家の周りは果樹園が多いが、中には何もしない果樹園はどうなるかというと、原生林化している。何もしないで実をつける柿の木以外の果樹、ブドウやモモやサクランボなどはまったく実を結ばない。雑草のツタがからみ、また、雑木が果樹以上に大きくなって、実を付けさせないのである。

 何もしないことは自然状態になり、そこで生き抜く生物はより強いものが支配(自然淘汰)する。逆に何かをすることは人工的な世界になり、人間に選ばれた生物だけが育てられる。

 この何もしない、するという安定もまた、公私理論が適応され、5:5が丁度いいように思える。何かをして生きられるのを労働といい、何もしないで生きられるのをベーシックインカムという。

 そもそもお金とは人間の肉体的にも精神的にも、その労働の総量であり、それがお金の発行総額になり、それを国民に分配することで。社会全体を維持していくシステムである。

 もし、あなたが、何もしないでお金をもらえるとしたら、それは誰かが働いた分である。ベーシックインカムでは、労働と収入の分離が基本であるが、それは労働とお金の分離ではなく、労働量と収入を比例しないという意味での分離である。

 人がもっとも大事にするのが、自尊心である。古今東西、人は神をもっとも大切にし、信じてきたのは、人はみな神であり、その神はすべての人の心に宿り、その神の実体こそ、各自の自尊心であるからだ。

 生活保護で生きる人はその自尊心から、「社会にすまない」というような卑屈になることがあり、そして、「お金より労働の機会を」と主張することがある。

 これは食料援助する場合、単に食べるための米や魚をあげることは、単にお金をあげることであり、自分で米を作り、魚を獲る技術や道具を与えることが労働の機会を与えることなのである。

 この自立を促す自尊心と労働意欲は、社会におけるもっとも大事なものであるから、ベーシックインカムにおいては、労働の機会をも常に与えることがセットになっていることが必要であろう。

 そこで、公私理論をこのベーシックインカムに適応し、国民すべてに公務員としての労働機会を与え、その報酬としてのベーシックインカムを受け取るようにしたらどうだろうか。

 つまり、公私のお金のシステムと同じように、公私の労働システムを創るのである。国民皆半分公務員であり、かつ、もう半分は私会社員であるようにする。

 こうすると、公的サービスだけでなく、企業サービスもみな、二交代や三交代でワークシェアすることになり、土日休日営業も可能になる。自分が決めた休日と休み時間をとることができるようになる。

 どこかの国だったか、警察官もワークシェアで、一日の数時間警察官であり、別な時間は定員さんであった。こうすることで、シングルマザーなども働きながら子育てがしやすくなる。

 お金が発展すると、専門家が増える。社会が充実すると、ワークシェアが増えるともいえるだろう。

最近、アベールで、おもしろいTシャツを見つけた。

金は天下の回り者

 あのウオール街を占拠せよという世界的な動きのTシャツだった。

 お金は分配することで、社会が維持できるように、労働もシェアすることで社会も安定する。そもそも協力するということは、お互いの労働をシェアすることである。

 

 

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