金の宝より縁の宝

 うちの山下にある差出磯大嶽山神社の春祭りを昨日曜見に行った。歩いて5分なのに、引っ越してから3年目にして、出かけていった。笛吹川と富士山を見渡せる小さな神社だと思っていたが、その春祭りにはなんと78件もの屋台が川沿いから山の上の神社までずらりと並んで、参拝者もそこを埋め尽くすような感じだった。そのホームページには毎年1万人訪れる山梨県峡東地域最大のお祭りだと書いてある。

 一体こんなに参拝者が多いのはたぶんその舞台で終日神楽が演じられるためではないだろうか。

 参拝者の多くはそうした神楽を観ている人は少なく、もっぱら屋台の食べ物を楽しむようだ。「花より団子」で、「神楽より屋台」だ。

 ただ、神楽で使用した破魔矢とその弓を舞台から演者が次々に投げられると、一斉に集まってきた。それにしても、こうした雅楽のスピーカーはどこでも接触不良なところが多く、音楽も騒音になってしまうのはどうしてだろうか。

 お祭りというのは神様を祭ることである。この神様というのは日本国を作った祖先の人たちを神様として、その後、その御利益に分化して、山神・武神・農業神のようになったものだろう。今の政府ではいえば、環境省、防衛省、農林水産省がそれにあたる。その違いは、祈り先と陳情先だろう。

 こうした祭りやイベントは年に一度というように、日常行為ではなく、一種の記念日として、祖先や大切なことを思い出すための機会である。そこの参拝者にとって、祭る神様はたんに偶像に過ぎないし、祭る儀式も、神楽も、みな創作されたものである。実際にご利益があるわけではなく、当たらない宝くじような、おみくじの占いを楽しむためのものである。

 その昨日曜、テレビ東京の日本昔話の放送で、「宝くらべ」があった。それは金銀財宝よりも、子宝の方が価値があるという内容である。

 

 また、その日facebookで、私が30数年続け解散した便利屋であるゴリラ便の仲間がまた増えた。私自身は便利屋事業としてはなんの儲けも、財産も生み出すことはなかったため、失敗作だったと思っていた。しかし、解散して数年たって、その仲間達がfacebookに集まってくる姿は、貴重な財産を得たのかもしれないと感じさせてくれた。

 「金銀財宝より子宝」のように、「金の宝より縁の宝」ではないだろうか。

 お祭りにおいてのご利益や屋台のご馳走よりも、そこに集まる人の縁、ともに参拝する者同士の縁が「本当の宝」であることを改めて知ることなのかもしれない。

 

 

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