原発事故の賠償や震災復興の財源のために消費税増税をしようとしているが、そもそもそうしたお金をどうして国民すべてから徴集しようとしているのだろうか?
一体誰がお金を発行するのか? しかも、発行するお金の財源は何であるのか? という事実を抜きして、政治論議されている。
しかも、国に必要な金をどうして民間企業や資産家から借金し、それを利息を付けて返済しなくてはならないのか?
こうしたことに疑問をもたないで、やみくもに金を稼ごうとしているのはどうしてなのか?
一体お金とは何なのか? それをはっきりと明確にしないで、お金の奪い合いをしているのはおかしいとは思わないのだろうか?
通貨や株式を売買して、毎日数十兆円の損得が繰り返されていることに疑問をもたないのだろうか?
一体、なぜ世界は永いこと金本位制をとり、今は管理紙幣制になったのか? その答えを探さないで、各国はお金を管理しようとしているが、その管理もできなくなっている現状をどう判断するのか?
「もしあなたが世界中のお金を発行するとしたら、あなたはどのようにお金を発行し、どのように配布し、回収するだろうか?」
これは地域通貨で、実際に試すことができる。その場合、地域通貨の財源は実際の通貨のように財源はいらないはずである。いくらでも通貨を印刷発行することができる。
次に、もしあなたが、通貨を発行したら、どのように配布するだろうか?
それも地域通貨と同じで、会員みんなに同額の地域通貨を無償であげるだろう。世界の通貨だって、世界中の人のみな同額で配布してから、お金の流通を始めることができるであろう。
しかし、今世界は発行者ではない金持ちから国も企業も、国民もみな借金して利息を払いながら返済し、返済できないと、資産すべてを没収されてしまうようになっている。
国も世界の金持ちに借金返済しないと倒産することに疑問をもたないのだろうか?
こうした現状は会社が株主のモノであるように、国もまた債券主である金持ちのモノであり、その金持ちに支配されている。国家の首相はいわば会社の代表取締役であり、その社長を支配するのは株主である。
今の野田首相が消費税増税して、国債の債権者に利息付きで返済を要求されるのはそのためである。
もし、あならが地域通貨を発行して、会員の一部が大金持ちになり、他の会員がその大金持ちに利息付きで借金して生きているとしたら、あなたは、会員全員から、消費税を徴収するだろうか?
しかも、あなたは会員の金持ちから借金をして、利息付きで返済をしようとするだろうか?
そんな状況になったら、きっと、こう疑問に思うだろう?
「発行者である自分がどうして金持ちの借金をし、利息までつけて返済しなければならないのか? 金が必要なら自分はいくらでも発行できるというのに」
続けてこう思うだろう。
「いったい、自分が金の発行者なのか、金持ちが金の発行者なのか、どっちだっていうのだ。この国の法律はどうみても狂っている」
そして、狂っている法律を改正し、金持ちがお金を発行し、利息とることだけでなく、貸し出すことも禁止するだろう。そして、金の発行者だけが、金を貸し出し返済させることができる法律に改正するだろう。
通貨の市場売買は禁止し、通貨の発行者同士が、協議の上で売買(交換)することができるようにするだろう。
市場つまり金持ちがその通貨価格を決めることは禁止されるだろう。
そうでないと、世界は金持ちにみな支配されてしまう結果になるからだ。また発行者も国民であることが必要であろう。
しかし、なぜお金の発行者は国民ではなく、一企業や金持ちになってしまったのだろうか? それは政府が戦争資金などでいくらでも政府紙幣を発行して、その回収(税徴収)を怠ったためである。そのため、物価は跳ね上がり、ハイパーインフレを引き起こし、金融経済は破綻してしまったからである。
そのため、発行回収をきっちりとする市場にその経営をまかしてしまった。しかし、まかされた中央銀行もまた回収することができなくなり、それが金持ちにとってかわった。金持ちは金を利息付きの金を貸し出すことで発行している。そして、世界中の金は金持ちに返済され、返済されない分は資産を得ている。
たとえ、中央銀行が紙幣を大量に発行しても、最終的にはみな金持ちへの利息返済金になり、ますます金持ちは金持ちになっていくだけの構造になっている。
つまり、中央銀行は発行した紙幣を管理できない状況になり、管理紙幣に時代は限界に達しているのである。
そもそも金本位制から管理紙幣になったのは、その国の貨幣の発行額の規定をするためである、金の保有量でお金の発行額を決めたのは、金の生産が一定量であったためだ。しかし、金の保有量とお金の発行額が同じすることはまったく無意味であり、どんな関係もない。金が単位となったのは、単にお金の発行総額を規制するためだけに役立っただけである。発行額を規制することで、お金の管理は可能になる。
しかし、お金を無制限に発行できるとしたら、その管理はできなくなる。そして、お金の発行総額を金保有量でなく、何にするかで、その管理ができるかどうかを決定することになる。
今の世界では金持ちの投資額が発行総額になっている。つまり、金持ちの欲望のままに発行されるのがお金の発行総額である。
金持ちがさらに金持ちになろうとする分が発行され、投資される。金儲けできないところには一切お金は廻ってこないような仕組みになるのである。
人類がお金を発明した初心に帰ってみようではないか。お金がなかった時代は物々交換であっただろう。その時はお互いに持っているものを等価交換できるような便利や道具として発案しただろう。けして、お金を金儲けのための手段として発行しようとはしなかったはずである。
人々はお金を通じて、助け合い、協力しあって生活していこうとしただろう。しかし、今ではお金は人の生活を支配す道具になっている。それは、まるで武器という道具で、その人の命を支配するようなものになっているのである。
人はしばしば自分が作ったモノに支配される。金儲けのために、通貨も原発電気も支配される。自らの欲望のために、自らの命を縮めるのは人の運命かもしれない。
しかし、人はそうバカではないはずだ。
金儲けの欲望のために、国民の生活が支配されないようにできる智恵をもてるはずだ。
人間の食欲と健康生活をみれば、それをお金に適応させてみればどうだろう。お金の発行総額を金持ちの金儲けのためでなく、国民全体の健康で文化的な生活の必要総額にしたらどうだろうか。
そのためには、お金が必要なところに常に配布され、国民全体にお金が行き渡るようにし、一部の国民にお金が貯まらないようにすればいい、ちょうど体の血液のような流れにするのである。
こうするには、管理紙幣の発行ではお金が国民全体に廻らない。自動的にお金が必要分だけの一定量のお金が国民全体の廻るようにするには、お金自体に時計が組み込むことができる電子マネーにすることである。
例えば、震災で傷ついた箇所から血が吹き出てしまい、そこに輸血しないと日本全体が死んでしまう。そこで、電子マネーという血液を作りだし、そこに投入する。そのお金で怪我がなおりはじめると、そのお金は自動的に心臓に送り込まれ、またそこにお金が送り込まれるようにするのである。
その方法は電子マネー自体に時がたつほどに減価するようにし、減価した分また発行させることで、一定量のお金がそれを必要とする国民全体に廻るようになれる。
つまり、復興資金を電子マネーで10兆円発行したら、その発行したお金を被災者の贈与すると、そのお金は業者に、業者に入った金額は最終的に金貸しの金持ちのところにいく。その10兆円は廻るために減価するため、結果的に、発行した復興資金は業者や金持ちが全額負担することになる。
この減価する電子マネーは復興資金だけでなく、これからの管理紙幣にかわって、国全体の協力をすすめることができる。
今生活保障の不正受給が問題になっているが、こうした社会保障に不正はつきものであり、また脱税も賄賂もつきものであるのはどうしてだろうか?
それは不正しやすいシステムになっているからである。もし、国民すべてに最低生活補償費であるベーシックインカムが支給されたら、不正する必要もなくなるし、いちいち審査や調査する必要もなくなるのである。
お金が減価する分は自動的に国に入る税収になり、国民すべてを平等にお金をゆきわたせるにはお金を発行したら、まずそれをベーシックインカムとして国民全員に配布することである。
それは国民はその国に参加する権利と条件を与えることであり、そのベースがあってこそ、公正な国民同士の市場競争が可能になる。金持ちと貧乏人との間の格差があったら、それは公正な市場競争なんかできるものではない。
こうしたベーシックインカムから始まる電子マネーの発行からの市場競争を不正ならしめるものがある。それはモノの資産である。例えば、広大の土地建物を親から引き継いだとしたら、それを引き継がない国民との差があれば、公正な市場競争はできない。そのため、電子マネーにより減価税収と同じように、モノの保有税を徴集するようにすればいいだろう。現在ある固定資産税のように、モノの保有税を自動計算して、口座振替するようにすれば、減価する電子マネーと同じようなモノの利用の循環が可能になる。そうした税収を国民のインフラ整備に投入したりすれば、さらにモノの利用が活発になってくるだろう。
お金を金儲けの手段にすることなく、当初の国民の協力の手段にもどすには、管理紙幣から自動税収できる電子マネーに替えることである。