ペイ フォワード(Pay it forword・可能の王国)
ある中学生が社会科の課題で、善行を3人にほどこすと、それを受け取った人がその恩を返さずに、別な3人に善行をほどこさなければできないという、善行の輪を世界全体に広げれば、世界は変わるというシステムを考え、実行したという映画である。
この善行をネズミ講のように広げようというのは、幸福のチェーンメイルのようである。
これが実際に可能かというと、映画でもそうだったが、一時は広がるが、それがとだえてしまうようだ。
この善行の輪というのはお金のシステムに実に近い。善行の輪は「受けた善行は3人にほどこさなければできない」というルールのように、お金は「借りたお金は利息を付けて返済しなければならない」というルールで動いている。
このお金のルールは法律で守られて初めて実現可能になるが、幸福の輪のルールは法律で規制されていなく、単に個人個人の倫理観で規制されており、また、何が善であるかははっきりと把握しにくいからである。
このペイ フォワード(善行の輪)をお金のシステムに変換すると、善行はお金になり、そのお金を3倍にして、くれた人以外の人にそのお金をあげるというものになる。
善行をお金に変換して、その輪が実現可能かどうかははっきりと推測でき、お金自体を3倍にすることは不可能であるため、善行の輪は不可能であるという結論ができる。
しかし、お金(善行)を3倍にしないで、そのお金をくれた人以外の人にあげるという善行の輪であれば実現可能になる。
お金と善行の根本的違いは、
お金は借りた金は返すという恩返しであるが、善行は恩をその人に返さず、他人に返すことにある。
もし、お金を善行の輪のようなシステムに変革したらどうなるだろうか?
まず、お金はモノやサービスの値段(値札・価値)であり、お金自体は増えも減りもしない。それを増えも減りもすると、いろいろなハカリと一緒で、安定的にモノやサービスの価値を表現することができなくなる。
善行を3倍に返すルールが難しいように、お金を3倍に増やすことも、また借りた金を利息分増やして返すことはできない。お金でお金は稼げないというルールが基本になる。
お金の貸し借りは恩返しの原則であるから、恩返しはできない原則にするには、お金の貸し借りはできないというルールにする必要があり、貸借に代わって、授受になり、無償の善行になる。
三番目はお金はモノやサービスの対価として交換されるものとして発案されたが、それを善行にするには、そうしたモノやサービスとの交換道具とは関係なしに、別な授受の機能を付けると善行の金の輪が可能になる。
例えば、ストアで、パンを買って、その代金100円を支払った場合、お金の授受があったのではなく、単にモノとの交換があっただけで、お金の授受があったとはいわない。
モノやサービスのような交換を要求しないような無償の寄付金が善行の金の授受になる。
これらをまとめれば、善行の金の輪はもらった寄付金と同額だけの寄付を困っている人に与えるという輪である。
これを動かすのは法的規制ではなく、個人個人の倫理観であるから、流通することは難しい。誰かに寄付してもらってすぐに事故でなくなる人がいることがあるからだ。個人個人の倫理観だけで社会のルールは維持できるものではない。
では、善行の輪をお金に変換するにはどうしたらいいのだろうか?
それが減価するお金(貯蓄税付きお金)の電子マネーの発行になる。
無償の善行とはその人に恩返ししないで、その人以外の他人に与えるお金のことである。他人を全部総称すると、自分以外の公のこと、社会全体のことになる。
これはお金の発行と廃棄を想定すると、理解しやすい。
例えば、パンの価格100円を発行するには単に紙を印刷または金属加工すればよいので、お金の財源とは無であり、いくらでも印刷鋳造できる。もし、パンを買うお金100円を河に投げ込み廃棄しても、また100円のお金を鋳造できる。
社会を維持するためには、廃棄した分のお金を発行するだけでよいのだ。
それはもしあなたがアフリカの飢餓の少年に100円を寄付したければ、あなたが持っているお金を河に捨てればいいということである。廃棄された100円のお金は国が発行し、その100円をアフリカの飢餓の少年に寄付することで可能になる。
100円のコインは河に捨てても拾われ使われることが心配なら、100円を国に寄付すればよいことになる。
寄付金は個人個人の倫理観であり、それは社会的維持には結びつかないため、寄付金ではなく、強制的に寄付させる税金にすることで、善行の輪を作るお金がシステム化することができる。
もちろん、このシステムは税金が社会全体のために使われるという前提が必要であるが。
善行の総称をお金にすると税金になり、その税金をシステム化すると、所有するお金の数パーセントを強制的に税金にして、社会保障にまわすことになる。
これを可能にするためには、貨幣を紙や金属では自動的に税を徴収できないので、
自動的に税を徴集できる電子マネーでなくてはならない。電子マネーだと、発行と廃棄が簡単にできるだけでなく、善行の税金の自動引き落としも簡単だからである。
例えば、自分の持ち金の年10%の寄付(善行金)を強制的に徴集する税金にすることは簡単にでき、国がお金を発行とそのお金をまわすような税制は電子マネーでは簡単にでき、1000兆円の借金返済に、消費税をかけることも必要なくなる。
善行の輪には金の貸し借りはできないし、社会事業を可能にするにはお金は授受でなくてはならない。まして、貸し借りの発生する利息は格差拡大と、エゴの拡大させる悪の社会を拡大するだけである。
お金がモノとサービスの交換を安定させるには、貸し借りがあったとても、それは無利息にすることが必須条件になる。ハカリは常に変動したら、ハカリの役目をはたせないようなものであるからだ。