どうして現実と希望の矛盾が起きるのか

 脱原発が国民の過半数であるのに、脱原発でない党が第一党になるのはどうしてか?昨年の市と県議員を選ぶとき、一人も脱原発の立候補者はいないので、他のTPP反対議員を選んだ。また、脱原発党として唯一言えるのは社民党であるが、社民党議員を選びたくても、その候補者がいないので、やむなく、野党第一党を選んだ。棄権という手もあるが、それでは現状維持の方向である与党を応援すると思われるからだ。

 今の選挙制度では自分の希望を反映できない現状があるから、希望とは違う議員や党を選ばざるをえなくなる。

 大事な法案を通す場合は、それを国民投票するような仕組みがあると、国民の希望と現実が近くなる。

 お金の仕組みが、どう考えても不正であるとしか思えないが、そうした現状を打破する新しいお金を希望しても、ただの独り言で終わってしまうような現状ができている。

 どうして、人は現状を維持しようとするのだろうか?

 それはどうも今の自分の現状が幸せであると感じられるならば、現状を維持するような決断をしていくのではないだろうか。

 それはどんな意見を持つかで、現状が生まれるのではなく、自分が今どのくらい幸せかで、現状が生まれるということではないだろうか?

 それは、もし自分が幸せならば与党を選び、不幸せならば野党を選ぶということではないだろうか?

 それは不満のないところに改革は実現しないといえるだろう。

 では意見とは何だろうか? 原発やTPPなどの意見は、それをどう理解するかで、その意見が生まれる。そのため、理解によって、意見は反対にもなりえるということである。

 意見はその意志につながるが、それが決断と行動とはつながらないことも多い。それは決断と行動には意見とは別な要素が多分にあるからだろう。意見は一部であるが、決断と行動は自分の心の中にあるいろいろな部分の多数決であるといえるだろう。

 政治家が本音と建て前を分けて、うまくやりとりするのはそのためだろう。

「嘘も方便」という諺があるが、これは法華経の「三車火宅」が由来で、ある老人の家で火事があり、その中で何人かの子ども達が遊んでいたが、「火事だから危ないから逃げなさい」といっても、遊びに夢中になってだれも逃げないため、「外におまえたちが欲しい羊・鹿・牛の車があるぞ」という嘘をついて、子ども達を救い出した話である。

 正直が常に正しく、嘘が常に悪いとはいえないということだ。「正直が正しい」また、「嘘は悪い」というのは意見である。そして、老人の嘘は決断と行動である。

 今、韓国と中国から日本はその領土問題で攻められているが、その攻め合いは意見の違いである。意見が違いから、戦争に発展することもある。その逆に、意見の違いがあると、さらに理解が深まり、より平和に発展する場合もある。

 自分自身の中でも、「自分の意志と行動が一致できない」ことがよくある。特にダイエットなんかはそうだ。「わかっちゃいるけどやめられない」というのが現状である。

 ダイエットの成功はできる人とできない人がいて、できる人は何か運がよかったようなチャンスをものにしているように思えるが、不運であっても、ダイエットを成功させる方法があるとしたら、2つあるだろう。

 1つは何度でもチャレンジすること。
 2つは希望と現状を徹底的に理解すること。

 これは新しいお金の仕組みの改革運動だってそうだと思える。お金に対する不満は世界中で多くみられ、また、多くの問題がお金の問題から派生していると思われる。もし、お金の問題を解決すると、世界中の多くの問題が解決されていくだろう。

 その道は、改革へのチャレンジと、その理解であろう。

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