なぜ現在のお金が不正なのか

 ベーシックインカムがなかなか実現しないのは、その思想がまだ不十分であり、その根幹に「なんでもお金で解決できる」という誤解があるように思える。

 もし、それが実現できたら、すべての国民が今の生活保護者になるということになる。時々テレビ放送される生活保護者に支給されるお金をすぐに取り立てる業者がいるが、それが合法的であり、なんの取り締まりをうけないことに疑問がわく。

 その姿は生活保護者や年金の金をねらった悪徳業者を野放しにしているかのように思える。

 どうして、それが許される社会なのだろうか?

 それは現在のお金が金儲けギャンブルのためのコインであるからだ。食べるためのお金ではなく、ゲームを楽しむお金であるからだ。

 それはご飯一杯をサイコロで取り合うようなものであり、勝負に負けたら、ご飯は食べられず、勝ったら、ご飯を2杯食べられるというギャンブルをするようなものだからである。

 ではなぜお金がギャンブルになったのだろうか?

 これはお金の貸し借りができ、しかも利子を付けることが許されたからである。

  世界はアダムとイブの二人の社会であると譬えてみれば、二人が必要なご飯は2杯だけであり、協力しあうためのお金はご飯1杯を100円とすれば、2杯分の200円分の発行し、アダムとイブに等分の100円ずつ配布(ベーシックインカム)すればOKである。

 もしアダムが2杯分のご飯を生産できたが、イブは病気でまったくご飯を生産できなかった。その場合の協力しあう道具として持っているお金100円でイブはアダムのご飯を買える。逆にアダムが病気で生産できなかったら、イブから買えるという安心が生まれる。

 しかし、もし、この200円のお金の貸し借りができ、利息が付いたらどうなるだろうか?

 アダムは翌年も2杯のご飯を生産できたが、イブはまだ病気が回復せず、ご飯は生産できず、お金もまったく無くなったとする。

 イブはアダムからお金を100円借りて、その利息を年10%10円払うという約束をして、ご飯1杯を手にして生きられたとする。

 そして、また翌年もまたアダムがご飯2杯、イブはご飯なしの生産であったとしたら、イブはまたアダムに100円借りて、利息を10円払う約束をし、ご飯を買ったとする。

 ここで、お金の発行高を計算してみると、アダムのお金は200円になり、さらに、利息分の20円のお金は約束したお金の発行高であり、その約束マネーもアダムが持っているということになる。

 現在のお金は紙幣であるから、印刷しない限りお金は市場から増えることはない。そこで、約束マネーは発行が約束された紙幣であるということになり、お金の総流通額は220円になる。

 さらに翌年イブは病気が回復し、ご飯1杯生産でき、アダムは好調でご飯2杯生産できたとする。

 イブはアダムに220円の借金を返すには生産できたご飯1杯をアダムに売ってお金にするしかない。しかし、アダムはご飯が2杯できたので1杯余り、さらにイブのご飯1杯を買う必要がない。

 そこで二人はどうするだろうか?

 イブはアダムから借りた220円が返済できないので、翌年はその10%の利息分をさらに借りるしかなくなる。借金の合計は220円×1.1=242円になる。こうして世界のお金の流通額は増えるのに合わせ、除除に物価もあがることになる。ご飯1杯100円だった物価は、121円になって市場調整される。

 翌年もまたアダムはご飯2杯、イブはご飯1杯の生産をしたとすると、イブの借金はさらに増え、242円×1.1=266円になり、将来返済が無理だと判断される。その時、イブは借金すべてをチャラにする方法を思いつく。

 イブはアダムにジャンケンゲームを持ちかけ、もし勝ったら借金266円をチャラにし、負けたら、アダムの奴隷になると約束する。

 アダムにとって、返済が期待できないお金よりも、イブを奴隷にした方が得なので快く承諾する。

 つまり、お金の貸し借りと利息のつじつまを合わせるには、ギャンブルしか方法はなく、その結果、支配者とその奴隷社会が生まれてくるのである。

 そこで、お金が協力しあう道具として、正しく機能するには、ご飯とお金が常に連動されていなくてはならない。

 まず、ご飯は食べられなければ、腐って消えてしまうが、お金は余っても腐って消えることはない。1万円札はいつの時代であっても、1万円の価値であって、その価値は消えることはない。

 また、ご飯は譲り合いはできるが、貸し借りはできない。まして、もらったご飯は利息のように増えることはなく、食べなければ腐敗し消えるだけである。

 法に従えば正しく、従わなければ正しくないと言われるが、もし、その法が自然に則さない幻想である悪法であれば、悪法に従えば正しくなく、悪法に従わなければ正しいといえることになる。

 現在流通している紙幣は自然に即しない悪法であり、不正をうながす道具である。これからは自然に即したお金の仕組みを根本から作り直す必要があるだろう。そのためには、腐らない紙幣を廃棄して、自動的に減価できる電子マネーを発行することだろう。

 現在すでに紙幣時代ではなく、主流は電子マネーの時代になり、それが流通している。皮肉なことにお金の貸し借りと利息は約束マネー(信用貨幣)の発行と廃棄ができて、それを流通させるには電子マネーが最適である。
 
 その違いは、その信用電子マネーが自然に増えると不正になり、自然に減ると正しくなるというだけである。

  アダムとイブが発行した200円のお金が1年間の有効期間であれば、イブはアダムの奴隷にはならないであろう。

 アダムがご飯2杯でき、イブがまったくご飯生産できなかったとき、イブは持ち金100円でアダムのご飯1杯を買うことができたら、アダムの持ち金は200円になり、イブは0円になる。

 翌年にはアダムの200円は無効となる。そして、アダムがご飯2杯、イブが生産なしの場合、ご飯2杯分のお金200円を新発行し、アダムとイブに100円ずつベーシックインカムを行うとする。

 イブは持っているお金100円で余ったアダムのご飯1杯を買うことができる。もし、アダムとイブが逆の立場になってもそれが可能になる。

 この1年間の有効期間の紙幣は減価率年100%の電子マネーのことであり、発行できるベーシックインカム電子マネーはその減価した電子マネーの総額200円になる。その減価また発行できる200円は現在の貨幣制度でいえば、アダムとイブから徴集した税金総額であるともいえる。

 人間にとって自然環境が最も大事なように、お金もまた自然に即した発行から始めることが改革の第一歩であろう。

 

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