金は天下の廻り者・・債券から循環マネーの時代

 今の政治の話題の中心は赤字国債と消費増税のように感じる。なぜかというと、今の国のお金は「借金」で発行され、「税金」で返済回収されて、廻っているからだろう。

 貨幣は金から紙幣になり、国は際限なく印刷発行できるようになったが、税徴収を怠ると、ハイパーインフレになり、紙幣は紙くずになるので、いわば、貨幣の民営化をした。

 それが中央銀行のみが貨幣を発行できるものとして、紙幣管理を委託した。その方法は中央銀行が民間銀行に発行した貨幣を貸出し、民間銀行は借りた貨幣と、民間の預金で、さらに国や企業に貸出をした。民間銀行はその返済回収を業務として引き受け、貨幣は天下の廻りものになった。

 この貨幣の循環する力は借金とその利息付き返済から成り立っている。ところが、国も会社のその利息付き返済ができないと、貨幣循環は滞ってしまい、経済生活は水が枯渇したかのようになってしまう。

 こうして貨幣は紙幣から債券(借金)という信用貨幣になった。これはニクションショックで紙幣が金との不換紙幣になったように、リーマンショックで、債券が紙幣との不換債券になったということだ

 これは、中央銀行が貨幣発行をして、国や企業に貸し出しする金融システムが限界に達したということである。
     
   貨幣は法貨として、法で民を司る道具である。法は政治で制定されるものであるが、その法が「借金は利息付きで返済しなければならない」という人為的努力のみで成り立っている場合は、その法には無理があり、必ず法の支配の限界がくる。

 領土は武力支配で決めているが、その武力は人為的努力であるため、必ずその武力支配には限界がくるものである。

 法が人為的努力ではなく、自然力で成り立つようにすると、その実行限界を大きくすることができる。それは手作業から機械化にして、作業を楽にするようなものである。

 貨幣循環を借金返済努力という手作業から、貨幣自身による自動循環という機械化にすれば、産業革命のように、貨幣革命が実現できる。

 国が武力ではなく、ネット情報で改革できたように、債券ではなく、自動循環する電子マネー で、平和的に改革できる時代が到来した。

 その方法は、今日本で一番求められているのは、「税と社会保障の一体改革」であり、景気の回復である。

 それを実現するには、今の借金返済する人為的努力による貨幣循環では無理である。「税金」と「社会保証・企業景気資金」が自動的(自然)に循環できる電子マネーの発行で可能になる。

 生きるための食べ物はすべて腐るように、貨幣もまた腐る(減価)ようなシステムにすると、それが可能になる。腐った食べ物は新しい食べ物の肥料となって、新しい食べ物が生まれるように、貨幣は自動的に減価(腐敗)し、減価した分は税金(肥料)として、国(大地)に徴収され、社会保障や企業資金(新しい作物)に廻される。

 この実施方法は実に簡単にできる時代になった。

 それは、クレジットカードと、銀行預金通帳をみれば、我々の生活が現金紙幣なしでも、買い物ができ、税金も銀行で自動徴収されている。

 貨幣を「債券」から、「自動循環する電子マネー」にするには、銀行預金に付くプラスの利息をマイナスの利息にして、それを国への税金徴収するだけで可能になる。

 また、株や通貨の売買や預金移動の手数料を税金にするだけで可能になる。返済利息や手数料(労務)のように、人為的努力が必要なものは無理がある。それに、毎年の税金申告する手間は、仕事するよりも困難な激務である。

 法人税・消費税。所得税などの流動資産にかかる税金申告がなくなり、電子マネーの移動と貯蓄で自動徴収されることで、貨幣は自然循環できることになる。

 貨幣は天下の廻り者として、金から紙幣、紙幣から債券、債券から循環電子マネーへと進化する時代になったのである。

 

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