働くということは協力しあうこと

 今、「働くということはお金を得ること」だと、信じ込まれている。しかし、お金の仕組みを日銀券(現金)とその債券(信用貨幣)ではなく、新しい税金付き電子マネーの仕組みにすると、「働くということは協力しあうこと」だと、信じる人が増えてくると思われる。

 ベーシックインカム(最低生活保障)を推進する人たちにとって、最も意識革命をしたいのが、「働かざる者は食うべからず」ではなく、「働かない者も食べられる」ということである。

 先日、ベーシックインカムを実現するには今の信用債券の社会では無理であると言った。それは債券社会の場合、必ず貸す人が上で、借りる人が下になる支配関係になり、利息付き借金返済は貸し主への義務であり、労務になるからだ。

 もし、利息付き借金返済の労務義務が否定されれば、今の信用債券社会は崩壊するからである。「働かざる者は食うべからず」というのは、信用債券社会では鉄則であり、「返済せざる者は信用するべからず」ということであり、それは端的というと、「利子返済せざる者は生きるべからす(死すべし)」という社会で、実際倒産して自殺する事業者もいるのである。

 今の貨幣制度は中央銀行が紙幣を発行し、それを国民に利子付きで貸し出すことから始まるので、実質的に管理紙幣が貨幣ではなく、信用債券が100%貨幣として流通しており、中央銀行の発行紙幣は債券の信用評価する数字の役目をしているだけである。

 ドル・ユーロ・円が毎日毎時売買され、その評価価格が違ってくるのは、今の通貨のすべてが信用債券である証拠である。

 世界全体が信用債券貨幣社会なので、世界の支配者はこの信用度の高い債券を最も多く持っている資産家であるといえる。そして、世界中の民はその支配者への返済義務のために働かざるをえない。

 そのため、「働くことは返済すること」であり、「働かないことは貸与すること」であるといえる。金持ちのことを不労所得というが、それは「働かないで債券の利息を得て生活する」という意味である。

 では、「働かなくても食べられる」ベーシックインカム社会はどんな貨幣システムであったら、実現することができるだろうか?

 これは「もし世界がアダムとイブの二人しかいなかったら」で、考えることができる。

 貨幣の由来は穀物であろう。日本も武士に米で給与として与えていたし、日本の室町時代に100年だけ栄えたインカ帝国は、文字も貨幣もなかったが、国を治める人には民が納めた穀物を与えていたからだ。

 今では石油が貨幣であるかのように感じるのは、生活にはけして欠かせないモノが貨幣であると思えるからであろう。

 そこで、アダムとイブは等しく年ご飯を一杯生産し、ご飯一杯を100円という貨幣シ制度を導入したとする。二人の国のご飯の生産高は2杯であり、それを流通するのに必要な貨幣の発行高は200円である。

 ちなみに、貨幣が穀物から金貨になり、金本位制になったのは、貨幣の発行高を金の生産量として限定する必要があったためである。各国がいくらでも貨幣を発行できるとしたら、各国通貨は信用交換できず、貿易が成り立たなくなるからだ。それは、貨幣が中央銀行だけでなく、国民誰しも発行できたら、そのお金に信用はなく、流通することはできないことと同じである。
 
 そのため、国で発行できる貨幣総額はその国の生産高(活動総額)に限定することで、物価安定と貿易が可能になる。

  発行された200円はご飯の生産分に合わせて、アダムに100円、イブに100円与えられた。

 翌1年、イブは病気になり、アダムはイブの田圃のご飯も入れて、2杯生産した。イブは持っている100円でアダムからご飯一杯を買った。

 翌2年、イブはまだ病気回復せず、アダムはご飯2杯生産したが、イブは生産できず、しかも、持ち金もないので、アダムに100円を利息年10%借りて、それでご飯一杯を買った。

 アダムは現金200円と債券110円所有し、イブの資産は0円になった。そのため、貨幣発行総額は310円となり、ご飯年生産高200円を超えてしまい、予想される2年分以上の生産高である貨幣が発行されたことになる。

 翌3年、やはりイブは病気で、アダムから ご飯一杯を買わざるをえなくなった。アダムはイブに現金100円そして、債券110円 に10%に利息が付いて121円、合計221円貸した。

 翌4年 今度はアダムが病気になり、イブがご飯2杯生産して、アダムはイブからご飯一杯を買わざるをえなくなった。

   イブは借金221円をいっきに返済しようとして、ご飯一杯の値段を100円から221円にした。アダムはご飯一杯がないと生活できないため、しぶしぶ承諾した。

 そのため、アダムは現金100円 イブは現金100円債券121円を所有することになった。

 すなわち、物価は現金と債券の総発行高で決まってくるといえる。債券はその信用度で売買されるため、債券の信用がゼロになった場合、債券の評価総額が減価すると、物価は安くなり、デフレになる。

 もし、アダムが持っていた債券121円を帳消しにしたら、イブはご飯の価格を221円ではなく、100円にできる。つまり、債券が紙くずになったら、物価は下がるのである。リーマンショックが良い例であろう。

 では、お金の貸し借りができない貨幣システムにしたらどうなるだろうか?

 それはご飯一杯の貨幣価格を100円にしたときに、ご飯の性質と貨幣の性質を同じにすることで可能になる。

 ご飯は貸し借りはできない、授受することしかできない。そして、ご飯を食べたら、消える。そのような貨幣を発行すればよいのである。

  アダムイブは年ご飯を一杯ずつ生産するのに合わせてご飯一杯100円として2杯分の貨幣を発行して、ご飯の値札のように、アダムに100円 イブに100円の貨幣を配る。

 翌年、イブは病気になり、アダムから100円でご飯一杯を買う。
    アダムの持ち金は200円になり、イブは0円になるが、ご飯は食べられたら消滅するように、アダムの持ち金200円は消滅する。

 翌2年、二人はまたご飯生産高に合わせて、200円の貨幣を発行し、アダムがご飯2杯の生産、イブが病気で生産ゼロであっても、お互いの生活補償費(ベーシックインカム)として、アダムに100円、イブに100円配布するとする。

 すると、イブはアダムから100円でご飯一杯を買うことができる。アダムに入った200円も、ご飯2杯分も、その年消滅する。

 翌3年、逆にイブはご飯2杯、アダムは病気でゼロになっても、新しく貨幣200円を発行し、アダムとイブに100円ずつ等しく配る。そのため、アダムはイブから100円でご飯一杯を買うことができて、アダムもイブも両方協力して、生活できることになる。

 このご飯の性質と同じくした貨幣は消滅する貨幣であるので、減価する貨幣といえる。このアダムとイブの例の貨幣は減価率年100%であるといえる。

 そして、貨幣を発行・配布するのは二人の協議で決められるので、その協議する場を国であるとすることができる。

 貨幣を国(協議場)で毎年200円発行するのは面倒であるから、貨幣を腐らないで、金額が刻印できる金貨にした。そして、毎年、その金貨200円を国(協議場)に返却することにした。それが年100%の税金徴収ということになる。

 こうして、アダムとイブは毎年ご飯を2杯生産し、どちらが病気になっても、協力して生活できるように、金貨を100円を等しく貸し、税金を100%にして、その金貨を国(協議場)に返すことにしたのである。

 このように減価(税金付き)貨幣が信用債券に代わって、流通した場合、貨幣は協力するお金になり、「働くということはお金をえる」ことは同じだが、そのお金が協力しあうための道具である認識になるため、「働くことは協力しあうこと」であると信じられるようになるのである。

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