● pikaさんの先日のコメントに次ぎのように私は答えた。
「物価を決めるのは単純にpikaさんと私の間で決められます。
pikaさんが今りんご1個持っているとします。
そのりんごを私は買いたいと思ってpikaさんと交渉します。
りんごの価格はいったいいくらになるでしょうか?
次の条件によります。
1,pikaさんと私の持っているお金の合計額が500円
2,お互いに借金できる総額が500円
の条件にすると、
pikaさんのりんごの価格は1円~1000円(但し、現金500円と債券500円の間で決定されます。
しかし、
1の条件が1000円増えて、1500円になり、
2の条件が無制限であったならば
リンゴの価格は1円~無制限の価格になります。
もし、食料危機だったら、私は生き残るために、どんなに借金しても、
pikaさんのそのリンゴを100億円でも、私は買うでしょう」
でも、まだ不十分だと思えたので、さらに物価というものを考察してみた。
先に、結論からいうと、
1,GDP(生産額) とは「pikaさんと私の間で決定されたりんごの価格」である。
2,現金の流通量が1000円増えれば、中央銀行の預金準備高が1%であれば、
逆数で、1000円÷0.01=100,000円の借金(預金額)流通量が増える。
現在の日銀の債権の準備預金額は 0.1% であるから、1000円の1000倍の借金流通額1,000,000円増える。
3,政府紙幣または日銀が国債1000円買えば、
リンゴの価格は1円~1,000,500円になる。私はPIKAさんのリンゴを最高100万500円で落札できることになります。
4,私はpikaさんのりんごをどんなに100億円で買うといっても、信用されません。国の保証額は100万と500円までですから。
この計算の前提になっているのは、「信用貨幣とは何か」で考察しましたのでご覧になってください。
▼私たちはみなお金を信用創造している
私が便利屋さんをしているときに、サラキン業者からこんなことを言われて、びっくりした経験があります。
サラキン: 一切返金しなくていいから、お金を借りてくれないか?
私: 嫌ですよ。返金しなかったら、ブラックリストに載ってしまうじゃあないですか。
サラキン: 大丈夫ですよ。それは脅かしで、業者としては、返金されなくても、ちっとも困らないですから。
当時、このサラキンのいう意味が不思議でならなかった。また、アメリカは貯金より借金の方が多く、その借金を自分の財産と考えていると言われたのも不思議でならなかった。
銀行の信用創造では、まるで、「無からいくらでもお金を作り出す」かのように見えるが、実際は中央銀行への準備預金額の逆数倍にお金を創造している。
我々誰しも、その額の大きさの制限があっても、借金はできる。
そのため、その借金ができた分だけ、我々はお金を信用創造しているのである。
上記の例にように、私がpikaさんのりんごを現金100円と借金100円で、
価格200円で買ったならば、私は借金の分100円のお金を信用創造したことになる。
▼ 税金は物価をあげる
北欧型社会福祉国家の物価はコーヒー一杯1000円のように、日本の2倍の物価に感じる。
北欧の消費税は25%であるのに、それが100%にも感じるのはなぜだろうか?
物価が高くても、デンマークなんかは、世界一の幸福を感じる国である。
逆に最貧国といわれるシェラレオラ共和国の物価は極端に安いが、とても幸福な国だとはいえない。
つまり、物価の高さ低さだけでは暮らし良さは決められない。
自分の収入や政府の補助の程度と消費物価の割合で、暮らし良さが算出できるのではなかろうか。
例えば、私の給与が月に100万円あれば、一杯のコーヒーが1000円でも、高いとは思わないだろうが、月給が3000円しかなかったら、べらぼうなコーヒーの値段だ。
また、コーヒーの値段の50%が税金で、そのお金が医療費に入れられて、無料になるとわかっていれば、暮らしやすいと感じるだろう。
そのため、消費税が5%から25%にあがったならば、みなの給与が20%あがったり、また、医療費や教育費が無料になり、さらに、年金が20%あがれば、暮らしは変わらないだろう。
ただ、幸福度からいけば、自由経済型うよりも、社会福祉型の方が高いと思われる。
そこで、先のpikaさんと私で協定されたりんごの価格が200円だったとすると、そこに税金(消費税・所得税など)を加味すると、 りんごの値段は50%の総合税100円を入れ、りんごの価格は300円になり、それをpikaさんに私は支払うことになる。
税収は国民の現金からなっており、足りないと国債地方債を発行することになる。そのため、国や自治体もまた信用創造してお金を作っている。
▼ 物価って何だ
これらを総合して物価の成り立ちを考えると、
1.需要と供給のバランス
これは基本の物価決定論である。
2.現金の流通総額
3,中央銀行の準備預金率の逆数倍の借金総額
4,税金
になるだろう。
そして、今回の金融危機から不況に陥った原因は、借金返済ができない人々や企業が増えて、世界に波及したためである。
つまり、信用創造の限界を超してしまったためである。
私がpikaさんにりんごの代金100円の現金を支払ったが、債権の200円を払わなかった。そのために、pikaさんは破産、税金の100円も支払えないので、国も税収不足になったようなものである。
しかし、銀行がpikaさんに200円の債権を買い、それを日銀からさらに手数料を入れて、500円借りればそれでOKなはずだが、日銀は準備金を超えるので貸さなかった。国も貸さなかったので、倒産したことになる。
しかし、国も日銀も貸さなかったのではなく、返済が無理として貸せなかったのである。信用創造が限界に達し、それが暴発したといっていいだろう。
そのため、各個人、銀行、国や自治体が信用創造できる最初に、限界を定めることが、信用を永続させることができる条件になることができる。
▼信用創造の限界を決める
信用貨幣の流通を安定化させるためには、その限度を決めることが不可欠である。
その限度に関わってるのが、
1.金利
2,中央銀行の準備預金率
の二つである。ここに、信用できる科学的根拠が求められる。
1は金利がゼロにするのがもっとも安定することはいうまでもない。
2は、これはゲゼルの減価する貨幣・・自然経済が基本になる。
お金の貸し借りは自然からいくと、マイナスの金利でなくてはならない。そのため、お金の貸し借りはできなく、贈与しかできない、例えば、りんご一個をpikaさんが私に貸すということはできない、贈与することしかできない。pikaさんからもらったりんごを私が食べてしまえば、無くなってしまうからだ。
でも、お金はなぜ金利ゼロでも返却しなければ流通しないのか?
それは、未来への生産を先取りするからである。借金とは未来の生産の予想額である。pikaさんがりんご一個を生産したように、私もまたりんご一個を生産できると予想できるからである。その予想生産が高ければ金利は高くなり、少なければ金利は安くなる。
そこで、現在の日本の総生産が100として、来年の総生産が110と高く予想されれば、金利は10%になり、逆に、総生産が90になれば、金利はマイナス10%になる。
但し、中央銀行が現金をGDPに併せて、印刷または廃棄することが条件になるが。この作業をまったく国民には知らされることはない。このデータが金銭システムではもっとも国民にとって、物価を知る一番の目安になるからだ。
この総生産は自然循環として永続できる生産にするには、環境を破壊しない生産にしないとならない。そのため、生産の内容にもよるが、少なくとも、安定した社会にするには自然循環のように、一定の生産と消費を繰り返すことがもっとも安定率が高い。
そこで、年の信用創造は年の生産額と同じにすることが、もっとも安定する。
すると、日銀の準備預金率は100%で、資産が1000円だったら、1000円だけ、貸すのがもっとも安定している。
これは、銀行がお金を貸すときに、土地を抵当に入れるだろう。その土地の評価額と同じ額だけの金額を貸すことがもっとも安心して貸せる金額なので、もっとも信用が高くなる。
私が100円の資産しかなかったら、100円までの信用創造ができる限界にすれば、金融崩壊も、信用崩壊は起きないだろう。pikaさんは私の資産を抵当にして貸せば一番信用されるだろう。