多数決の民主主義が正しいとは限らない

 山本五十六というテレビのロードショウを観たが、未来に向けての正しい判断をしていた山本五十六という個人の意見は上の命令と、国民の声とマスコミによって、間違った戦争へといかざるをえなく、またその職務から数百万人の命と自分を犠牲にしてしまったというものだった。

 間違った戦争の反省がまだまだ足りないような気がする。それは多数決が最優先される民主主義が常に正しいとは限らないことを教えてくれる。

 人の意見は事実からいろいろと変わってくるものだ。その事実がもし嘘であったり、その事実が全体で組み合わさった事実ではなく、ほんの一部の抜粋された事実であった場合、人は誰しも間違った意見へと導かれてしまう。

 そこで、もっとも大事だと思われるのは、一人一人が自分で確認できる事実を組み合わせて、自分の意見を持つということであろう。

 次に大事なことは、自分の意見のとおりに行動することではないだろうか? 山本五十六は上の命令には従ったが、部下は山本五十六の命令には従わなかったということで、自分の意志と行動とは逆の結果になってしまった。

 その結果からの反省をするなら、連合艦隊の指揮する任務を断った方がより正しい判断だったかもしれない。しかし、断ったとしても、戦争は避けられなかっただろうし、より被害が少なかったかどうかはわからないが、少なくとも、彼自身はより長く生き延びることができたかもしれないだろう。

 だが、より長く生き延びることが常に正しい判断かどうかはそれも疑わしいことだ。そう考えると、正しい判断は何かなんてことは誰もいえないこととしかいいようがない。

 しかし、人は正しい判断をしようと常にもがいている、それが他人と多く会談して、自らの判断をすることが大事であるのだろう。

 そう考えると、多数決である民主主義よりも、多数の意見と会談して、自分の意見と行動を決め、その結果が、多数意見とは違っても、自分が決断した意見と行動をすることが大事であるといえる。

 多数決に従うのではなく、多数の意見を吟味して自分の意見に従うのがこれからの生き方ではないだろうか。

 それをあえていうなら、謙虚な自由主義ということになるだろう。

 

 

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