金は苦労の種、命は幸せの種

 今月、倉庫をゴミ屋敷のように2件使っている人が賃料を滞納した。唯一の連絡先である携帯電話があるが、今回は契約者のご都合により連絡ができないというアナウンスがあり、あせってしまった。

 単に、賃料の滞納だったら問題は少ないが、そのまま逃げられると、ゴミの処分量が数十万円かかるので、とても敷金だけでは足りなくなる。

 商売をしていると、こうした不動産賃貸でも、滞納されて困ることが多い。それを未然に防ぐようにしても、それでもダマされることがある。商売でもっとも難しいのが滞納の問題であるともいえるだろう。

 この滞納の問題を解決しようとすると、滞納額よりも多くの金がかかり、また、その手間と神経は莫大になる。

 最近、金持ちが自殺するニュースがあり、また、うちの店の家主も莫大な資産を持ちながら自殺した。逆に、借金が重なり、催促者にせまられて自殺する貧乏人もいる。

 つまり、金は多くあっても、なくても、それは苦労の種になるってことだ。

 しかし、金で苦労するとき、本来の姿にもどると、非常に気が楽になるものだ。金があってもなくても、生きることができるということである。

 それは人は食べ物を食べれば生きられるが、金を食べては生きられないということと同じである。

 今回の倉庫の賃料の滞納であっても、私自身が生きられなくなるというほどの問題ではない。大損するという問題であり、生きていられるだけで充分な満足がえられるからだ。

 よくつまらないことで喧嘩して殺し合いになることがあるが、このつまらぬことにうちに金が入ることになると思える。命と金とは無縁であるからだ。

 そもそも金というのは、国民すべてが今まで生産したモノを分配するためにものであり、また、将来国民が生産するであろうモノの分配をするためのものである。

 今日本は高度成長が終わって、少子化と老人大国になった。それは過去生産したモノが多く、未来生産するモノが少なくなるということだ。

 これは単純に借金(過去生産したモノ)が多くなるが、それ(未来に生産するモノ)を返せなくなる社会になったということである。そのため、滞納と不良債権が増えて、その金はゴミとなって消えていく。過去生産したモノの量と未来生産するモノの量が同額に調整されていくのである。

 例えば、過去生産したモノを多くもっちる老人に必要なモノは少ないので、金はほとんど使わない。未来生産するモノは過去ほどの生産は必要がないから、金は過去ほど必要がない。

 これが不景気である。未来の人が借金を返したら、その残りの金が少ないこと、そして、必要なモノをギリギリに使うので、必要で安いモノしか買わなくなる。これがデフレである。

 景気は活動量であり、お金もまた国民の活動量であり、その分配でもある。だから、今のデフレ不況は日本の活動をゆっくりとさせ、むしろ、生活の質を高める方向転換が必要になってきているのだろう。景気回復より、環境回復であり、金に苦労するより、生きることを楽しむ時代になったのだろう。

 世の中、金でもっているのではなく、命でもっているんだ。

 この切り返しをすれば、けっこう大らかで楽しく人生の船がこげそうだ。

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