みんな神様道 3

 三章  道って何?

  神様とみんなについて考えると、それは「自分の意識」が出発点になってくる。そして、三本柱の道についてはこの「自分の意識」をどこに置くかということなのだ。

 「道」とは「生き方」である。当初、「みんな神様術」にしようかと考えたが、好きな柔道を柔術にはしたくなかったからだ。「術」とは「技術・知識」みたいで、狭くなるので、「自由な生き方」というような意味で広くとらえたテクニックにしたかったからだ。

 四章  みんな神様道って何?

  これを簡単にいうと、「もし自分もみんなも神様だったら、この世界をどうする?」という空想を楽しむティータイムである。

 実際、私はあの世が近いのだが、「もし生死が自由にできる神様になれたら」、私は自由にあの世もこの世も出入りできる存在になる。これほどおもしろい空想もあるまいと思うからだ。

 確かに現実的には悲惨で苦しい毎日があっても、空想だけはそんな現実に左右されないで、神様仏様にも、また、どんな姿にもなれるし、宇宙や世界だって、いくらでも変えられることも確かなのだ。

 あの震災で二万人亡くなったかもしれないが、空想ではあっという間にその二万人を生き返らすことだってできるほど、自由自在なのである。

 しかし、この自由自在の神様空想ゲームをよりおもしろくするには、ルールが必要であり、ルールがなければゲームもできない。

 この空想ゲームのルールはただ一つ、自分も神様であると同時に他人もすべて神様であるとするルールである。そのため、なかなか自分の思い通りに空想は進まないってことになる。

 例えば、あいつは殺したいと思って殺しても、相手も神様なので、殺されてもすぐに生き返ってしまうことになり、そして、復讐されて自分も殺されるが、また再生してやりなおすってことになる。

  神様というのは殺せないのだ。いわば、将棋みたいなもので、敵駒をとって、好きなところに味方の駒としておける存在のようなものである。

 

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