天に倣った自由市場を支える法を

 昨日のキプロスの貯蓄税は強制的に行われた。財政破綻を経済の病気とするならば、高額医療が必要な子どもを救うために、募金を集めることはいわば自由な貯蓄税の支払いである。

 自由市場を支えているのは強制的な法律による借金返済である。法の元における平等というように、法(強制)の元における自由が約束されるというものだ。

 つまり、命が生死でできているように、強制と自由はコインの裏表である。それは強制なきところに自由はないという意味もあるのだ。

 キプロスの救うためには強制的貯蓄税は必要であり、難病の子どもを救うには自由な募金は必要である。これは自由市場の矛盾がよく現れている。

 今の貨幣が債券になったのは命は天の債券だとも考えられるからかもしれない。
つまり、自分の命は天から借りたもので、いずれ、天に返さなくてはならない。そこに利息が付くとしたら、出産して子どもを育てるように、「人の役にたつ」ような事をするということだろう。

 自分の命を天に返すには自由ではなく、天から強制的に行われている。自分の命を天から借りるのも強制的であるともいえるので、人が自由でいられるのは肉体を借りている期間だけであるといえよう。

 科学技術が天の理を倣うことであるように、経済技術である貨幣も、天の理に倣うことで、人々の生活が楽になる。

 そこで、天から借りた命のように、貨幣を発行させたらどうなるのだろうか。

 命を発行するのは天のように、貨幣を発行するのは国である。そして、命を天から借りて、返すのは人間であるように、貨幣を国から借りて返すのは国民である。命の貸し借りは天の強制であるように、貨幣の貸し借りは法によって強制である。

 天は人に平等に命を貸し付け、返済させるようにするには、国は国民に貨幣を平等に貸付返済させる。それがすべての国民に平等に貨幣を貸し出す生活保障金であるベーシックインカムであり、その返済は平等な貯蓄税である。

 ベーシックインカムは国民の権利であり、貯蓄税は国民の義務であり、それは法的強制で行われる。

 天から借り受けた命のある期間は自由に使うことができるように、国から借り受けた貨幣は持っている期間は自由に使うことができる。

 この自由な期間が貨幣の自由市場になる。この自由市場を支えるのは国の平等なベーシックインカムと貯蓄税であるといえるだろう。

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