河川清掃より道に花を植えよう

昨日、地元の河川清掃をうっかり忘れたため、罰金のように3000円とられた。そこで、「すまない」という気持ちが、「組脱退」に変化してきた。

 河川清掃は田舎ではどこでもやっている。東京では落ち葉清掃だった。私は便利屋だったので、その落ち葉清掃を代わりに仕事でやったことが何度かある。

 東京の落ち葉清掃もそうだが、河川清掃もあまり地元の住民にとって、ほとんど意味のない清掃だと思えるのである。本当に汚いところの清掃なら、それは住民がやるのではなく、役所に依頼された業者がやっている。

 つまり、地元の清掃そのものの意味はやってもやらなくてもどうでもいいものなのである。本当の意味は住民同士の交流であり、顔合わせであろう。

 それに、田舎の河川清掃をする人はみな老人ばかりで、けっこう重労働なので、こうした顔合わせも、労働の分配みたいになるので、罰金として税金をとられたのだろう。

 ほとんど意味のない重労働の河川清掃よりも、もっと意味ある簡単な夢のある道ばたに花や植木を植えるような歩いて楽しくなるようなイベントに変えたらもっといいと思えるのだ。

 田舎の河川清掃っといっても、ほとんど草刈りである。草をとったところに花を植えてこそ、草は花にとってかわるからだ。落ち葉が落ちたところに花をうえると、その落ち葉は花の肥料になる。

 ピンチをチャンスのように、汚れをアートに、雑草を花に、もっとも私のもっとうは雑草を穀物に・・である

 

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