お金とは分配券なんだ

 お金の研究といっても、思索であるが、長年やっていると、お金というものが、シンプルに「分配券」だとすると、いろいろな難問が解けてきた。

 今でも、貨幣のない部族が食べ物を平等に分配して生きている。この食べ物の分配方法が貨幣だとすると、今の貨幣制度がおかしくみえてくる。

 今日採れた食料を村人全員で分けるときに、お金に当たる食券を与えて、それと食べ物と交換するという方法がいわば貨幣システムである。

 今日採れた食料分が食券の発行総数になるので、貨幣の発行金額は村人の生産量と一致しなければならない。それは国民総生産であるGDPと貨幣発行総額は同じでなければならないということである。

 もし、食券である貨幣発行額が生産量よりも多かった場合、インフレ(物価高)になり、生産量よりも少なかった場合、デフレ(物価安)になる。

 そのため、生産量と貨幣発行総額が同額の時、物価は安定する。

 食券はその時に採取された食料分であるから、それは一回分しか使えないはずである。そのため、食券の貸し借りはできないし、未来に発行される食券は採取された量になるので、確定はできない。

 食べ物は一回食べたらそれで終わりのように、食券も一度使ったら、それで終わるようにしなければその意味はない。

 しかし、現在の貨幣は貸し借りができるだけでなく、何度でも使える。この不条理から、あらゆる不道徳な問題が起きてくると考えられる。

 例えば、みんなに分配した食券を貸し借りしたら、どうなるだろうか? 誰かがたくさん食べ、誰かが食べられず死んでいく。まさに、今の世界が金のために、格差拡大し、富めるものはますます富めるが、貧しき者はどんどん飢えて死んでいくという姿を反映することになる。

 未来に生産する食料を確実に決めることはできないように、借りた金を確実に返すことなどできない。しかも、未来の生産量は現在の生産量よりも多いというような利息付き債券を信用することはできないはずである。

 貨幣の貸し借りはまるで未来の占い師の言葉を信用するようなものであり、それを元にした現在の貨幣システムは不安定にならざるえないし、非科学的な占いごとである。

 その占いが当たれば大儲けし、はずれれば大負けするようなギャンブルになってしまうのである。

 今のような貨幣では運の良い人間だけが生きられ、運の悪い人間は死なざるをえないようになってしまうだろう。貨幣の変革は今なされるべきであろう。

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