稲は手間がかかりすぎ

 福岡式による「麦・稲」の自然農法 に失敗して、それを改良して、3年目になる。稲は麦や大豆と違って、あまりにも手間がかかりすぎる。

 麦や大豆は浸水もしなくても、また、水をあげなくても、ただ蒔けば雑草のようにぐんぐん育つ。唯一注意するのはハトがスズメなどの鳥に種を全部食べられないようにするだけだ。肥料だってあげなくてもいい。

 しかも、雑草なんかにはまけないので、本当に手間がいらない。

 しかし、日本人が一番好きな稲となると、これがべらぼうに手間がかかる。まず、水田でないと、うまく成長しないし、種を浸水させて芽を出させ、しかも、それを苗として成長させてから、田植えするという、まったく手間がかかる。

 水田でなく、陸稲にしても、浸水した種を蒔くのだが、それから、毎日水やりをして成長させる。しかも、雑草負けするので、雑草対策を念入りにしないと、収穫できない。それに病気によわく、穂が実ったと思いきや、ほとんど種なしであったのは昨年だった。

 今年でなんとか成功させたとしても、その手間がかかるので、別な手間いらずの野菜に代えたいと思っている。

 だいたい、どんな野菜や穀物でも、雑草と同じく、自然に放っておけば毎年実るようにできているのが、自然の法則だ。稲だって、本来はそうでなかったのではないだろうか。

 稲は人間なくして、その種の保存ができなくなったような、まさに人間のペットのような人工物ではないだろうか。

  稲を麦のようにどこでも土があるところに蒔けば育つような本来の野生品種があったらと思うが、あるのだろうか? あのアフリカ用の奇跡のネリカ米も種をばらまいただけだと、まったく成長しなかったので、けして野生品種ではないだろう。

 とにかく、味はどうであれ、麦にように手間いらずの稲が栽培できたら、本来の人間の食べ物になるような気がするがどうなんだろう。

 

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