共存が自然法である

1.仕事か結婚か

 ドラマで、母から受け継いだ京都の老舗旅館の女将になった鴨に、恋人がワシントンで仕事をすることが決まり、一緒に来てくれないかというプロポーズをする。鴨は恋人を選ぶか、旅館の仕事を選ぶかで迷い、女将の仕事に苦渋の決断をし、結婚をあきらめる。

 結婚か仕事か、どちらを優先するかを迷うことは昔からあった。しかし、今の時代は両立できる時代になってきた。それは結婚というスタイルが一緒に暮らすことであるということではないからだ。

 夫婦がお互いに自由に仕事をし、また、一緒に暮らせなくても、たまに会うだけのような遠距離恋愛的な夫婦があってもいいではないか。実際、夫の単身赴任だってあるのだから。

 子育てだって、どっちが一方で育てることだってできるはずである。夫婦で大事なのは常識的な結婚スタイルではなく、お互いの愛を信頼するということなのではないだろうか。

2.殺すか守るか

  芽が出た種籾を鳥から守るために、破けて支柱だけになったビニールハウスに網を張ってみた。その光景はまるで鶏小屋のように思えて、まるで、自分が鶏小屋に入って鳥から身を守っているような姿に、思わず苦笑いしてしまった。

網ハウス

 そこで、鶏が逃げないように囲う鶏小屋と鶏から作物を守る網ハウスを比較してみた。それは動物を囲って眺めて楽しむ動物園と人間の命を守りながら、動物の姿を眺め楽しむ自然動物園の違いでもあった。

 これは蚊から身を守る方法とも似ており、蚊を殺虫剤で殺すか、蚊帳を張って、蚊から人を守るかの選択でもある。

 鳥獣害か、動物保護か、人は常にその選択を攻められるが、人と動物は共存できないのだろうか?

 これは各国の敵と味方の戦争にもいえることで、敵国民を殺すことで自国民を守るか、敵国民を殺さないで自国民を守るかの選択である。銃兵器はいわば殺虫剤にあたり、平和条約は蚊帳に当たる。

 殺人兵器は今や核や生物兵器と進化してきて、それは敵国民だけでなく、自国民をも破壊するな自滅兵器になってきている。

 それは虫や病原菌を殺すような農薬使用は、人間の命をも奪えるように進化していることと同じである。

 動物と人間、敵と味方はけして共存できないで殺し合うしかできないのだろうか? いや、どの生物界をみても、その種を抹殺しないでも共存できている。

 弱肉強食の生物界であっても、強い者が弱い者を殺し、食べ尽くすことはありえない。お互いが生存できる数を調整しようとしているではないか。

3.輸出依存か、輸入依存か 
 
 経済活動の基本は自由市場である。それは金儲けがその活力となっている。日本は輸出立国を目指して、安部首相のトップセールスをし、ロシアとの受注競争をして、ベトナムやトルコに原発輸出している

 ロシアはチェルノブイリ原発事故、日本は福島原発事故の後始末ができていない両国がその技術を売ろうと競争している。

 日本は最終核ゴミ処分もできないのに、原発ゴミを引き受けるという条件つきで、ベトナムから受注契約をとった。

 まだ安全とはいえない技術を売る方も、買う方も、おかしな頭をしている。一体、両国は何をみているのだろうか? それはまさしく「金という経済力」だけをみているが、両国民の命の保証をみていない。

 ただ売ればいい、ただ金儲けできればいい、ただ便利であればいいという姿勢しかみえない。

 もし、日本が輸出立国になれば、その相手の国は輸入立国になる。自由市場は勝つか負けるかである。 輸出しか方が勝ち、輸入した方が負けなのだろうか? 

 黒柳徹子がユニセフの親善大使で、南スーダンで栄養失調の子供たちを見舞う報道があった。

 スーダンの栄養失調の子と、日本におけるダイエットブームはまさに対照的である。日本はスーダンには輸出国であり、スーダンは日本からの輸入国である。この輸出の輸入の関係は有り余った食料国と、飢餓に貧する国との関係であるともいえる。
 この世界の自由市場は弱肉強食を推し進める人間法なのであろうか。相手国を飢餓に追いやってまでして、グルメを求める自国になっていいのだろうか?

 遠方からやってきた難民の夫を亡くした9人の子供を育てている女性が、黒柳徹子に一人くらい子供をあげようかと笑いながらいう。一方、飽食の日本は一人の子でも育てることが難しい少子化問題をかかえている。

 飢餓国と飽食国は共存できないのだろうか? 強い者が弱い者を食べなければ生きていけない自由市場でなければならないのだろうか?

 株式や通貨市場でも、勝ったら、相手は負けたのである。 その勝負は人の命の奪い合いまでして得るものなのだろうか? 

 スポーツの勝敗の楽しさは命の奪い合いだけはしないルールがあるから生まれる。そうしたスポーツ精神が経済の世界でも必要であり、自由市場における最低限のルールがあってこそ、お互いに生かされる社会になれる。

 これからの外交は自国だけの利益を追うようなものでなく、他の生物界のように、お互いに生存できるようなものにすべきであろう。世界を放射能汚染にさせるような危険な技術で稼ぎ回るような経済戦争は核戦争と同じであり、人類を自滅に導く崩壊の始まりだといえるだろう。

 

4,共存が自然法である

 経済の自由市場は殺し合いの戦争を正当防衛として認める人間社会の法である。自分の命を守るには敵を殺すしか道がないというものだ。しかし、敵を殺さなくても味方を守れる道はほかにいくらでもある。

 自然界では個々にとっては弱肉強食かもしれない殺し合いの世界かもしれないが、その種全体にとっては、互いの種の共存につながっている。この自然の共存方法こそが、自然法であるといえるだろう。

 人も、外交や経済で、人間が他の動物を支配するように、他国を支配するように勝つために動くのではなく、いかに共存していくかという自然法に則っていくべきだろうし、それを人間が定める法律にも適応すべきであろう。

 

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