小さな成功を見逃すな、大発見につながる

 今朝、夢の中でも、ユーザー車検で、冷却水とオイル漏れの本当の原因を反省していた。一つの疑問は、ただ溝に落ちたくらいで、車がオーバーヒートして、運転不可能になったのはどうにも理解できないでいた。

 ひょっとしたら、溝に落ちて、下回りの鉄フレームの曲がりを直そうとして、バールで押し戻そうとした際、ラジエータを押しつぶしたのではないか? 

 そうならないようには注意していて、途中からハンマーでたたくことにした。オイル漏れはオイルパッキンから漏れており、それはいじっていないので、溝に落ちて、オイルパンが押されたためにパッキンにすきまが生じた。

 しかし、ラジエーターの大きな破損で、大量の冷却水が漏れる原因はどうも自分がバールを使って鉄フレームを戻そうとした際、ラジエータを潰したというのが本当の直接原因であると思えたのである。

 溝に落ちたのは小さなミスである。それで凹んだ下の鉄フレームを直そうとして、ラジエータを潰してしまったのも小さなミスである。

 もちろん、修理屋が懐中電灯をエンジンの上に忘れたことも小さなミスである。直接原因ではないとしても、それが修理屋への大きな疑心になり、自分で車のガタガタ音をなおうそうとして、車を溝に落とすというミスの動機にはなった。

 これは小さなミスが次々の重なって、大きなミスを引き起こしたことになる。ただ、その大きなミスは自分の車だけでおきたもので、他人に迷惑をかけたわけではない。

 しかし、実際は今、橋本さんの戦争中の慰安婦への小さな発言ミスが大きな日本に限らず、世界にまで、大きな発言ミスになっている。

 小さなミスを直そうとして、さらに大きなミスをしてしまうことは、けっこうあるものだ。それはどうしてそうなったのかは、あとで思い起こしても、きつねにつかれた感じで物事が進行していたように感じることがある。

 今回の小さなミスの連続が大きなミスになっていくのはまさに奇跡的な現象を生み出したような感覚であり、しかもこの感覚は、自分ではどうしようもなく、何かにうながされうように行動してしまったようなのだ。

 あの振り込め詐欺だって、注意してはいるのに、つい騙されてしまうことがある。 それも、途中で小さなミスに気が付けば大きなミスは防げるはずだ。

 小さなミスを繰り返して、大きなミスにならないようにするには、一つ一つの小さなミスをしないことである。

「それを小さなミスも見逃すな、それが大きな怪我となる」

 そこで、関連することわざを調べてみた。

技を矯めて花を散らす/枝を撓めんとして幹を枯らす/角を矯めて牛を殺す/角を直して牛を殺す/葉をかいて根を絶つ/下手な治療は病気より悪い/仏を直すとて鼻を欠く/枉がれるを矯めて直きに過ぐ/磨く地蔵鼻を欠く

 つまり、小さなミスを無理に直そうとして、かえって全体をダメにすることのたとえがたくさんある。

 ベンジャミン・フランクリンも、
Watch the little things; a small leak will sink a great ship.
(どんな小さなことにも注意しなさい。小さな水漏れからでも、大きな船は沈んでしまうからだ)

さらにこれを労働災害に適応し、それを科学的に研究したのが「ハインリッヒの法則」である。

1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。それを三角形で表した。
ハインリッヒの法則
あの福島の原発事故災害も、このハインリッヒの法則が適応できるように思える。

有名なジョーク混じりの標語に、「注意一秒 怪我一生」がある。これもハインリッヒの法則であろう。

 下の娘はバイクや車で、小さな事故を起こすことが多いので、欲しがる車をすぐには買ってあげないようにしている。

「うっかりミス」が「まさかのミス」にもつながることだってある。

 ミス失敗を逆に、サクセッス成功にもつながるので、ハインリッヒの法則はこうなる。

1つの大きな成功の背後には29の小さな成功があり、その背景には300のさらに小さな成功が存在する。

 小さなミスも見逃さないことも大事だが、小さな成功もけして見逃さないことも大事なのである。大発見はそうしたことから生まれたものが多いからだ。

 子供を育てることで、ほめて才能をのばす方法が最近推奨されている。昔はしつけといって、ミスをしかって直すことで、才能をのばそうとしていた。

 これは、小さなミスも大きなミスにならないようなしつけであろう。小さな成功をさらに大きな成功に導くのがほめて才能をのばすことにつながるともいえるだろう。

 小さな親切が大きなお世話になることもあるが、小さな親切が大きな社会変革にもなれる。こうした、小さなミスや小さな成功が、予想も付かない大きなものになるようなことはまさに奇跡的に起きてくる。

 小さな事実が大きな奇跡を生むようなことだってある。それは為すべく成るような、神業のように感じる。

 一生よりも一日が大事というのは、まさに、小さなミス、小さな成功を見逃さず、大事にすることが、自分とはかけ離れた神事につながるという意味でもあるのだ。

 つまり、一日は人事、一生は神事 なんだ。そのミス、その成功の一つ一つを大事にしていこうではないか。きっとすばらしい生涯がまっているようなきがする。

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