上を見ないで下を見る

 スズメやハトは籾種をねらって、ネットハウスに下の草むらから入り込み、いざ、逃げようとすると上に飛び上がり、逃げられなくなってしまう。

 横に大きな窓をあげても、それ以上の上にいって、やはり逃げられない。結局、上のネットにうろうろしているところに、水をかけて、窓に誘導して逃がすことができる。

 このスズメやハトの行動を観察すると、人にも共通な習性があるように思える。

 下の草むらの落ちている種籾を食べようとするのは、いわば経済戦争みたいなものである。ハト同士でも、食べ物で争ってプリュルプリュルと相手を威嚇しているのもみられるからだ。

 そして、食べものに夢中になっているスズメがネットハウスに入り込んでしまい、そこから逃げられなくなってしまうのは、金儲けに夢中になって、自由を失ってしまう人間にも見える。

 問題は逃げ方である。鳥は自由になろうとして、上ばかり飛んでいく。もし、下の入れた草むらの穴にもどればなんなく、自由になれるはずであるが。けして下にいこうとはしない。

 人も上ばかり見ているので、自由になれないのではないか。もし、下をみて、食べる原点にもどれば、なんの苦労もなく自由になれるのではないだろうか?

 より美味しいもの、より量が多いものを、とどまることなく求めていく。そのため、食べ過ぎたりして、病気になり死んでしまうのは、まさにネットハウスに入り込んで、人間に食べられてしまうようなものではないか。

 もし、人はより美味しいものを求めるのではなく、食べる原点にもどり、必要最小限の食べ物で満足しようとしたら、人はダイエットとして健康的に長生きもできるようになる。

 上の美食を求めるよりも、下の飢餓の子供を助けることの方が、人はより自由になれるような気がする。

 それは腹一杯食べるよるも、足るを知って、腹八分で食べる方が健康的で長生きができるようなものである。

 これがなかなかできないのは豊富な食べ物があるからだろう。しかし、それを食べ物の原点に戻ってみると、意外にやさしいことかもしれない。

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