自然はそれぞれが自由に動いていて成り立っている。そうした自然を支配する神様なんかいない。そして、すべてを悟っている仏なんかもしない。
生きとし生けるものすべてが自由に活動している。それが自然なんだ。
国家も自然に習えば、国民を支配する政府も、法律さえもいらなくなる。
計画停電で信号が消えたとき、車の事故はほとんどなかったし、通行する際は相手の動きをみて、お互いに譲り合いしていた。そこには優先を決める交通ルールもなく、それぞれの車の動きで衝突しないようにするだけで動いていた。
私の家の近くにも信号がない三叉路があり、常に多くの車が通っているが、譲り合いのルールもないのに、まったく事故が起きていない。
人が造った法律は常に改正される運命があり、けして更新されない絶対的な法律なんかは作れないし、あったら、その国は独裁国家のように硬直化してしまう。
自然に習えば、国家なんか必要ないし、それを治める神様のような首相もいらない。人が自由に生きていれば、国同士の争いもなく、お互いに助け合うだろう。
国は予算を組むのが一番の仕事だが、その予算だって、議員なんか必要なく、国民それぞれが自由に決められるようにできれば、それが自然を模した方法なのである。
ベーシックインカムのための電子マネーを使えば、その時の生産物をそれぞれ公平に分配するだろう。これは銀行のコンピュータで自動にできる。その自然な自動システムはいわばトップダウンであるが、その逆のボトムアップが、国家の予算を組む方法になる。
公平に分配されたベーシックマネーは、自由競争によって、その収入に格差がつく。その格差を利用して、未来の国家事業の予算を組むのである。例えば、ABCの国家事業があるとすると、ベーシック国民は自分のベーシックマネーで、そこに投資することができる。
多く持った成功者は自分が望むA国家事業に多くを投資できるが、まったく持たない失敗社はどの国家事業にも投資することはできない。
つまり、ベーシックマネーを未来の国家予算に自由に投資できるようにすれば、国の予算は自然に決まることになり、議員が決めるのではなく、ベーシック証券会社のコンピュータが決めることができるだろう。