投資するということ

 稲作をしていると、1つの種籾から春に芽が出て、秋にそれが実ってご飯一杯(1000の種籾)になるのを夢見ている。

 種籾1粒=1円

 として、商品と貨幣の交換する基本単位した制度を作ったとしよう。

 もし、米1000粒食べれば、1000円は消えるが、種籾1000粒大地に蒔けば、それが1000倍は理想だが、うまくいけば100倍の10万粒になる。

 種籾を食べると消え、種籾を育てると増える。

 消費して減るのが減価経済であり、投資して増えるのが増加経済である。

 ともに、稲作からみれば自然に習った制度であり、投資することは種籾(貨幣)を増やす行為である。

 平均して、種籾1粒が100粒になる稲作を投資経済にリンクさせると、実った100粒の米のうち、99粒は食べ、1粒は種籾とする必要があるように、実体経済は99円、投資する金融経済は1円になる。

 この消費実質経済99 : 投資金融経済1 が自然の正常な貨幣制度になるが、実質経済1 : 投資経済 10 というように、実質経済よりも投資経済が大きくなると、異常な経済になる。

 それは稲作にリンクすれば、種籾10粒蒔くと、1粒の種籾が実ることになる。これは稲作の失敗であり、その結果、1粒米を食べられる人が1人、1粒も米を食べられない人が9人になり、貧富の差が増えることになる。

 もし、1粒=1円=1人 としたら、投資1円は100人の生活を支えるのが正常な自然経済であるのだ。

 投資経済 1 : 実質経済 100 が正常であり、1人の投資家は他の99人の消費生産者の生活を支える仕事をしてこそ、正常な経済社会である。

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