個性と環境を稲から学ぶ

 私は動画編集ができないので、10分の舞台のように撮影している。

 昨日、ツイッターで、突然変異は99%の努力と、1%の運によって起こると書いた。これは稲が生きようとする力が努力であり、自然の力が運であるという意味である。

 今、水稲の種で畑作、陸稲の種で畑作をして、比較してみた。その結果はまったく予想外の途中結果ができた。

 前世が水稲の種だった稲の畑作は雑草に負け、また水分をかなり必要としていて、水はけのいい畑では成長を止めてしまっている。

 一方、前世が陸稲だった稲は今生の畑作では雑草にまけず、また、水もさほど必要とせずぐんぐん育っている。

 また、洗面器で、雑草が生えない黒土で育てた水稲はよく育ったが、陸稲は茎の下が枯れ始め、病気になってしまって、育たなくなっている。

 陸稲の種でも、空気のない狭いバケツで浸水させて1ヶ月も芽が出なかったが、急遽大きな水槽に移して芽を出させた種は10分の1くらいしか成長しなかったが、病気して枯れることがなく、育っている。

 麦の実り方も、畑の環境がいいと思われる場所で育った麦穂は貧弱で実は少ないが、荒れ地という環境で育った麦穂は大きく立派に育ち、実も大きい。

 稲の品種は人間でいえば個性であり、その育て方は環境である。環境が良いからといってよい人間が育つとは限らないし、また、環境が悪いからといって、悪い人間が育つとは限らない。

 そして、個性が天才のように良いからといって、どんな環境にも育つとは限らないし、また、個性が鈍才のように悪いからといって、どんな環境にも育たないとは限らない。

 そういう結果がこの陸稲と水稲の稲の育ち方からいえそうだ。

個性と環境は、その個性とその環境が合ったときに花開き、個性と環境が合わないと花開かないといえる。

 個性が環境に適応しおうとするのが生き抜く努力であり、環境が個性を引き出すのが運であり、いわばそれが突然変異するといえるだろう。

 世界の種を牛耳ろうとするモンサント社が開発する遺伝子組み換え作物は人間が放射線を使って、強制的に遺伝子を組み換え、農薬とセットにして、雑草を殺すが大豆は殺さないような遺伝子を組み替える。

 ここには、大豆が環境に適応しようとする生き抜く力を無視してしまい、その個性と環境を一定に作り出す、それはいわば放射線で突然変異による奇形児を作り出すようなものである。

 大豆も人間も同じ生物としたら、あなたはモンサント社における遺伝子組み換え人間になろうと願うだろうか? あなたの個性はモンサント社が支配し、あたなの環境はモンサント社が作るとしたら、あなたは人間ではなく、モンサントに飼育されたペットになってしまうだろう。

 稲も人間も、その個性とその環境の相性で育っていく。そして、いろいろな稲があり、いろいろな人間がいてこそ、地球全体が調和され、命のバトンがうまくいっているといえるだろう。

カテゴリー: 徒然草, 自然に生きる パーマリンク