水稲の畑作をして、何度も雑草をとったが、水稲は成長が進まず、雑草の下に隠れて枯れる運命だ。それでも、ひょっとしたら、雑草さえ除けば水稲は生き返るかもしれないと、雑草をとっている。
そんな作業はまるで福島の原発事故による放射能汚染の除染と似ている感じがした。それは先がみえない作業で、実に空しい感じがしてやりきれない。
そして、思い切って、除草をやめ、水稲の畑を全部耕耘しなおして、別な夏野菜を植えた方がいいと思うようになってきた。しかし、いままでの水あげや草刈り、種籾の芽だしなどの苦労がみな水の泡になることがしゃくにさわる。
放射能の除染だって、一部をやっても、まわりが汚染されていたら、まわりから入り込む。それに除染したゴミを安全に捨てる場所などこの地球上にはない。でも、除染しなければそこで暮らせないし、仕事もできない。こうしたジレンマをどう解消したらいいのだろうか。
水稲の畑作は無理であるが、陸稲の畑作はよく育つ。
この単純な原理を除染にも応用しようではないか。原発を造ることは水稲を畑で作ることと同じで無理なのである。事故における放射能汚染を解決できないような原発をそもそも造ることはできない。その原発ゴミだって、地球上のどこにも捨てる場所はないのだから、原発は造れないのは当然である。
だから、空しい除染をやめて、原発事故の第一原因に戻るのである。原発を廃棄することが今後もっと大きな原発事故に遭わないようにして、地球を汚染させないようにすることだ。原発を稼働すれば、燃料のウランの1億倍もの強い放射性物質が造られるから、そく停止し、廃棄することが先決である。
そして、空しい除染はあきらめ、その土地はすべて汚染された土地でも稼働できる太陽光発電地帯などに切り替え、汚染されていない土地で住み、仕事をするようにすることが先決だろう。
そして、原発廃棄と放射性廃棄物の処理の技術を磨いていくしか、今後の道はないだろう。
さて、私は水稲の畑作をあきらめて、その除草をやめ、別な黒豆や小豆、大豆をそこに蒔くことにしよう。