実体経済と金融経済の循環は分離すべし

 今まで、復興カード・e中銀件・BASIC貨幣として、お金そのものに貯蓄税をマイナスの利息のように課金し、それを国民全体に等しく分配するシステムを提唱してきた。

 その場合、貯蓄税を逃れようとして、商品に投資するため、どうしても、同時に商品の保有税が必要になり、貨幣の貯蓄税と商品の保有税は同時に実施せざるをえない。

 また、日銀券とは別に新マネーとして電子マネーを発行する必要が出てくる。この3つの改革はかなり急激なので、そのシステムを導入する前に、今の日銀券と、今の税制で、その素地を造ることができる。

 それは国が貨幣を発行するのではなく、中央銀行である日銀が発行しているという仕組みをそのまま活用するのである。

 国の事業と税収はいわば国民サービスを提供する日本株式会社のようなもので、収支のバランスを合わしながら運営している。これは実体経済を中心に動いている。

 国は貨幣を発行できないため、税収が足りないときは国債を発行して運営している。この国債は1000兆円にもなり、国民総数1億2千800万人で割ると、一人あたりの借金は781万2500円となり、年利が1%としたら、年10兆円(国民一人あたり年7万8千円)である。もし、4人家族だったら、4倍で、借金は年3125万5千円(利息年31万2千円)であり、あなたの年収が3000万円あったとしても、すべて借金返済に消えて、生活費はゼロで生活はできない状態である。

 もし、家族4人の最低生活費が年400万円必要だったら、国民年収平均3525万5千円なければ日本株式会社は倒産してしまうことになる。

 しかし、現実は倒産していないのはどうしてだろうか?

 私は30年近く便利屋をやってきたが、社長であっても月20万円稼げたらいい方だった。IT産業で月収数億という社長もいるのはどうしてだろうか?

 現実に独立して、商品販売やサービス業だけで、まじめに生活するのは生活保護くらいの年収がやっとだろうと経験的に推測する。みんなは一体どうしてそれ以上の収入を得ることができるのだろうか?

 これらの収入は実体経済ではなく、金融経済からである。大企業のほとんどが株式や為替らの売買による利益を得ているからであろう。貨幣流通は、10%が実体経済であり、90%が金融経済だと言われている。この1:9の比率で、我々の生活が成り立っているとすれば、なぜ借金1000兆円もあるのに、倒産しないのかが理解できるのである。

 家族4人の実体経済の平均年収400万円だとしたら、その金融経済の平均年収は9倍の3600万円あることになる。年借金3125万とその利息31万円払っても、十分やっていける計算である。

 この金融経済を支えているのは借金である債権の売買である。株式も為替もこの債権が変化したものである。1000兆円の国債も現金で売買できるので、それは通貨ともいえる。例えば、会社を売買するときに、現金ではなく株式を使うように、債権もりっぱに通貨として成り立っている。借金も貨幣なのである。

 
 貨幣の9割が金融経済であり、それを支えているのが貨幣を発行している中央銀行である日銀である。国は貨幣の1割である実体経済を運営している。ならば、貨幣そのものに課税する貯蓄税は金融経済に対してであり、その税収は貨幣発行元である日銀がしなければならない。国は実体経済を管理するのだから、それは商品の保有税をかけるだけでよい。実際に不動産の保有税などが行われている。

 そもそも日銀は市中銀行に発行した貨幣を貸し出すことから始めている。その時点から、日銀は貸し出した貨幣のすべてを回収する責任を負うことになる。それでないと、貨幣は正常に流通しなくなる。

 日銀が市中銀行に貸し出す金額はその資産の9倍、証券会社が株売買の資金の9倍貸し出す、これが実体経済1に対して金融経済9の割合になる。我々が、家をローンで買うときに、手持ち金1000万円あったら、その9倍の9000万円の家がもてるようなものである。

 この9倍の貸付金には金利がつく。この金利が平均1%であったとすると、日銀は貸し付けた元金と金利1%を回収する責任を負うことで始めて流通することができる。この元金と1%利息の日銀返済することを、国の税金に対して、発行元に貨幣が帰るとして、帰金と名付けてみたい。

 この貨幣を国民の血液とするなら、日銀は国民の心臓である。国民の細胞すべてに酸素と栄養と交換できる貨幣を与え、そして心臓の日銀にもどし、また、国民すべての細胞に貨幣を流すのである。

 国民すべてに等しく貨幣を配ることはベイシックインカムであり、その財源は金から金を生み出す金融経済からである。この金融経済をなす債権の期限が平均10年で、年利1%とすると、元金回収は持っている金融商品の年10%の帰金であり、その売買に対して、両者から1%の帰金を徴収する必要がある。

 その帰金が一年間で回収された金額を国民総数1億2千800万人で割った金額がベイシックインカムとして等しく配布される。それはベイシックインカムとしての最低生活保障としてではなく、国民が明日に挑戦する投資金である。それは麻雀をするときには、全員に同じ1万5千点配布して始めてゲームができるようなものである。

 麻雀でどんなに差がでても、全員でゲームを再開するにはそれが借金であっても、なくても、かならず1万5千点が与えられるようなものである。

 ベーシックインカムを最低生活保障として月いくらとして、その財源を消費税とかして実現しようとするには無理があるだろう。実体経済が1割、金融経済が9割あるという現実に合わせて、各国民の基本投資金として配布、その財源は金融商品(債権・株式・通貨など)の保有帰金年10%とその売買における双方への1%の帰金とすれば、みな生活をゲームとして楽しめるようになるだろう。

  

 

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