人類の進化において、狩猟採取から農耕牧畜に替わったことが、平等社会から格差社愛へと替わったことを意味する。
今も世界は農耕牧畜であり、お金を介して、さらに格差社会となっている。その格差が大きくなると戦争で殺し合う結果にもなり、その武器も核兵器まで発展し、人類の存続まで自滅せしめるようになった。また、核兵器は平和利用として原子力発電所で電気を製造するが、その事故や大量の廃棄物でも、被爆して人類も存続できない状態になってきている。
ここで、人類は農耕牧畜の格差社会から、平等社会へと変革せざるをえなくなっている。それは人間性の復帰を望む自然回帰に学ぶことができ、狩猟採取の平等社会に帰って、地球上に住む人類全体が戦争することなく、みんなが仲良く暮らせる方法を見いだすことが必要である。
今も多くの漁業が狩猟採取をとっているが、格差社会においては自由競争して捕獲しあう結果、魚資源の枯渇にまでなっている。これは漁業に限らず、産業全体にもいえることで、エネルギー資源には顕著であり、石炭・石油・ガス・ウランも限られた資源であり、それらは再生不可能な資源であるので、自由競争して取り合えばいずれ枯渇してしまう。
持続可能な漁業をしている例はノールウエーのサバ漁に見られる。
ノルウェーの場合、国際交渉で配分された枠をもとに水産庁が総漁獲可能量を決める。巻き網やトロールなどグループごとに漁獲枠が配分され、最後に個別の枠が船に割り振られる。もちろん、幼魚小さい魚は捕獲禁止している。
海のサバが毎年一定量に保てるようにして、サバが枯渇することを防いでいる。格差社会において、それぞれの力量に合わせた取得制限と、自由競争による乱獲を禁止して、持続可能な資源の割り当てをすることが不可欠である。
格差社会が進むべく平等社会とは「個性に合わせた配分」と「持続可能な生産量と産業内用」といえるのでないか。
持続可能なサバ漁のように、貨幣システムから産業と、持続可能なエネルギー資源へと変革していく必要があるだろう。
総漁獲可能量は貨幣発行総額、 漁獲枠は企業の貨幣貯蓄制限枠、 個別の枠は最低生活保障(ベーシックインカム)に当たる。 そして、持続可能な産業とは持続不可能な原発の即廃止、枯渇が予想される石油ガスから、再生可能な太陽風力水力発電などの変換である。