NHKスペシャルの中国激動 “さまよえる”人民のこころで、拝金主義で不幸になった人民が、宗教的な道徳とか、倫理を求めている姿を放送していた。
原発推進から大事故を起こしてしまった日本国民が脱原発を求めて立ち上がった姿と重なってみえた。
退治に病気が見つかると堕胎する人も増えてきて、医療技術と倫理観がぶつかる問題も増えてきている。
これらの問題は倫理観なしに、金儲けも、技術も、意味がないものになるということだ。
私は少年の頃から 宗教的なものを求め続けてきて、経済的なものを無視してきて、その限界を知り、それらを捨てた人間だった。十年前から 経済的なことを大事にするようになり、それらを研究したが、私とは逆に多くの人が経済的なものから 倫理的なものを求めていること、また、経済的な問題を解決するには 倫理的問題の解決策を用いれば可能になることを発見した。
例えば 核爆発は人を殺す放射性物質を作るので、倫理的にが悪である。核融合は放射性物質を出さないで電気を作れるから 倫理的には善である。しかし、核融合は核爆発なくして作れないので セットとして扱われる。善と悪はコインの裏表というのが道教にある。
自然には善も悪もない、悪を設定するから善があり、善を決めるから悪がはびこるという教えになる。この倫理観を原発に応用すると、原発は核融合であっても必要ないという結論になる。自然界に存在しない放射性廃棄物を作り、元にもどせないことをすると 人類そのものを絶滅させるという考えも 自然なる神に逆らって生きることはできないし、それは破滅につながると言える。