物事をシンプルにみる

 原発事故以降、原子力の勉強をしたくなったが、残された時間が足りない。お金の問題もおうだったが。経済学を大学で1から始めたいという思いを断念したのもそのためだ。

 結局。残された時間の少なさと、生きてきた時間の多さをうまく編み込むと、経済や原発の問題を自分の得意とする宗教哲学のような視点で、その解決の提案ができそうに思えた。

 経済とか原発の姿を、まったく違った分野の宗教哲学からみると、意外にシンプルにみえる。宗教哲学ともいわずとも、身近で経験したことをそこにシンプルに当てはめることができるような気がする。

 沖縄の基地移転の問題だって、沖縄にたくさんの米軍基地があるのだから、移転などせず、基地撤去して、日米中朝鮮韓国ロシア友好公園でもつくり、そこで、6カ国平和会議を毎月開き、貿易、スポーツ、資源開発など共同で行えるようにすればいいと思える。

 それは未知の原子部落にいって、武器を捨て、「私たちはあなたたちの敵ではない。友人になりたいとやってきた」というようなことをする方がはるかに防衛手段にもなる。

 尖閣諸島だって、そこはちょうど沖縄と台湾の中間だから、中国には遠慮してもらって、沖縄と台湾の共同漁業基地にしたらどうかと思える。竹島もまた、日本と韓国の真ん中にあるのだから、日韓友好の地として、いろいろなイベントをすればいいように思える。

 北方領土は地図からみても、日本の領土に入ると思えるので、そういう視点で、ロシアに変換を求めるのではなく、国連や国際裁判所などに訴えていく方向に集中させればいいように思える。

 あんまり、自国の土地というように凝り固まらず。どの土地も友好の地というような形でもっていくと、シンプルに問題解決できる。

一国一国がみな一人の隣人として、一緒に地球に生きているという感じで、物事をみていけば、やたら、問題をややっこしくしなくてすむ。

 原発は電気を造るのではない。猛毒のサリンより何万倍も危険な放射性生成物を造るということも言えるので、即刻停止し、それが使用されることがないように、安全に保管し、将来中和、無害化できるように研究していくという方向がでてくる。

 専門になるとやたら難しくなって、理解がしにくくなる。もっと全体的に日常的にシンプルに眺めると、簡単な解決策がみえてくるように思える。

 

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