荷を最小限にすると自由は最大

東京生活は田舎の別荘という感があり、部屋も家具も少なく、ノートパソコンとテレビを一体化させ、エアコンも冷暖房で一体化、wifiも持ち歩き、生活の動きも仕事もコンパクトにまとまる。

年柄 「どう死ぬか?」 ということがテーマになっているが、それはあの世に旅立つ際 「いかに荷を少なくするか?」 ということでもある。あの世には肉体も財産も持っていけない、持っていけるのは「心だけ」である。その心だって 生きている者とこれから生まれるであろう人たちへの思いやりである。自分の欲望とは 他人と区別できる自分という顔を持つ肉体から発するので、それは肉体の死とともに消滅するので、持っていけない。

生きる者にとって、亡くなった者の心を受信できるのは 「生前何をしたか? 何を残したか?」によってである。私の人生を決定的に変えたのはロマンローランが残した「ジャン・クリストフ」小説である。また、最近では福島原発事故である。それが負の遺産であっても 反教師になって大きな影響を受ける。

つまり 若いときは先陣の心を受信すべく 大いに無駄をすればいいが、老いたときは後輩に発信すべく 大いに無駄を省くのが自然である。老いて動きがにぶくなるのは 無駄のない動きに心がけよという意味であり、荷はできるだけコンパクトにまとめて 自由になり、遺産も後輩に伝える心になるように プレゼントせよということだろう。

で 思いついたのが どこでも移動可能なコンパクトな住宅である。 モンゴルの移動式テントのような仕事にあわせて手軽に移動組み立てできるものがいい・。しかも 現代生活のような電気や電波もすぐに仕え、自然サイクルにあわせられるもの、しかも、ジャングルであっても、 都会であっても使えるようなものがいい。そして、災害時にも、そこで畑で食べ物を栽培できるような家が理想だ。実際 私が目指しているのがそんな家造りのような気がする。

 

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