自然法による政治が丁度いい

深海のアンコウ

東京で自分のアパートのリフォームをしているが 一日で3時間がいいところだ。日によっては気乗りがしないと別なことをする。基本的に自分が今一番したいことを優先してやることにしている。

10年前だったら 一番に収入をあげるこの仕事を優先しただろう。 しかし今は別なツイッターとかの方がより重要になってきている。それはどうも自分より社会の方が関心が強くなったためだろう。

アパートをリフォームして 人に貸して収入をえる必要はない。今の収入だけで十分に暮らしていけるし、それ以上のお金は必要がないからだ。なぜリフォームするかは 自分で家を建てる楽しさのためだろう。自分の好きなことをするのに 苦労してやることはないし、やりたくなったらやればいいので 気ままになる。

一方 ツイッターの方だが 関心がお金の仕組みから 脱原発の政治に移ってきた。若いころにはお金とか まして政治なんかはまったく関心がなかった。関心があったのは いかに生きるべきか? といった生まれいずる悩みみたいなものであった。時代が高度成長 学歴重視社会であり、その反発するヒッピー生活にあこがれていた。

若者が政治に無関心なので投票に行かない気持ちは 自分もかってそうであったからよく理解できる。老年になると すぐに死んでいく自分のことより あとに生きる人たちのことが気にかかるようになった。

なぜ生きるのか?は なぜ死ぬのか?になるのだが これはアンコウやシャケの生態をみれば理解できる。

深海の提灯アンコウのオスはメスに吸収されて死んでいく。シャケのメスは子の卵を産むと死んでしまう。生死の流れは オス→メス→子供 というのが自然である。夫死んでもは妻を守ろうとし、母は死んでも子を守ろうとする愛は自然な心である。そして 老人は死んでも若者を守ろうとするのは自然の発意である。人類が永遠に地上に生き続けるための自然法である。

特に脱原発は老人が未来の若者を守ろうとする運動である。老齢の隠居生活をやめてまでして 脱原発運動のために都知事選にでる細川元首相の気持ちもそうであろう。

今まで生きてきて、最も大きな収穫は 「うまく生きるコツは自然に自分を合わせることを知った」ことだ。ケセラセラ 何くるないさ Let it be あるがままに という言葉もそうだが 生きるも死ぬも自然のままに自分を委ねることで 実に安らかな気持ちになれ、すると 問題の方がいつしか消えてしまうのを体験する。

この自然に自分を任せる「生き抜くコツ」は 政治における法律を「自然法」にすることで 社会も平穏になれる気がする。脱原発して再生可能なエネルギーにするのも自然法であり、貨幣システムを減価(貯蓄税)する貨幣にするのも自然法だし、貨幣を雨のごとく公平に与えるベーシックインカムも自然法だし、 水は高きより低きところに流れて海の水平を保つ福祉も自然法である。 無理してわざわざ遠くから輸入せずに食糧やエネルギーを地産地消するのもまた自然法であろう。

私の役目はどうもこの生き抜くためのコツである自然法を若者に伝授することのようだ。

 

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