動物にもモラルがある!

学生の頃、早朝の新聞配達をしているとき、野良猫がたむろしていた。交尾している猫の姿をみて、まわりの猫数匹が転がり笑っていた。この光景は動物はけして笑わない、人間だけが笑うことができる存在だと信じていたので、それが猫も笑い転げる事実を見てしまった衝撃は今でも思い浮かべることができる。

この事実を言っても信じてくれる人は少ないので、ずっと隠していた。だが、NHKのTED「動物にモラルはあるか?」を最近みて、自分の観察した事実が本当であるだけでなく、実験証明により 共感と慰め、向社会性、互恵と公平ささえも持っていたことを知って驚いた。

今年の発祈願が「脱原発」だった。そして偶然にも猪瀬都知事が徳洲会から5千万円を受け取った問題で辞任し、脱原発都知事選のチャンス到来がきた。当初脱原発を推す共産社民緑の政党が前都知事選で100万票とって落選した宇都宮が立候補していたが、知名度が低く、自民公明が推す桝添には到底勝てないと思われていた。しかし、脱原発の小泉が推す細川が立候補して、勝てる脱原発選挙になった。

選挙アンケートでは

都知事選アンケート

 

 

電球4つのうち一つ我慢すれば原発いらないという省エネ脱原発を推奨していた桝添は、都知事になりたくて、数十年も動かないもんじゅを動かせば核ゴミは無くなると誤解宣言し、原発推進する自公民に媚をふるった。そんな事実を知らない都民は圧倒的に桝添を応援していた。2位に細川、3位に宇都宮である。告示前のアンケート内容と同じく、脱原発の細川宇都宮合わせても、人気トップの桝添には届かない状況だった。

その原因は、都民の関心の50%が福祉と景気にあり、18.5%が原発エネルギーであるから、都民の需要と都知事供給の割合からいえば、脱原発一本で戦う細川は元厚生大臣だった桝添には圧倒的に不利であることはあきらかだ。

さらに、脱原発を進める細川を攻撃したのは なんと同じ脱原発の宇都宮だった。宇都宮は脱原発よりも都知事が重要だったため、なんと争点を需要のある福祉を中心に展開した。そして、脱原発だけを争点にする細川を批判したのである。両者とも脱原発候補の統一をしようとはしなかったが、両者の陣営が統一の必要があるのではないかというので、両陣営の激しいバトルがおきた。それが身内同士の醜い争いになっていった。前国政選挙でも脱原発派の党や議員は惨敗したのはそうした同じ仲間同士の争いで死に票が増えたためである。

そんな仲間同士の争いをみて、「動物のモラル」を思い出した。そして、ツイッターにこうつぶやいた。

「同じ脱原発という餌を宇都宮と細川が望むなら、動物でも協調します。

でも片方が知事という餌だけを望むなら、動物でもいがみ合います。」

もし、宇都宮が都知事になることより、本当に脱原発社会を望むのだったら、動物と同じく協力して、二位の細川に譲り、推進派の一位の桝添に勝てるように自分は降りるようにしただろう。

困惑したのは脱原発の運動家である。前参院選で、勝利した山本は無言のまま、「都知事選投票にいこうキャンペーンキャラバン」をしだした。それは選挙に行かない若者をなんとか投票させて、脱原発派の宇都宮と細川両氏の投票を増やそうとしたのである。加藤登紀子も同じ投票にいこうキャンペーンだった。

しかし、「投票に行こう」というだけであるなら、棄権投票も、多数の推進派、脱原発派にも投票してほしいということだ。大事なことは投票できる相手は一人だけであることだ。そして、若者が投票に行かないのは「誰に投票しても同じだから」「投票してもしなくても都政は変わらないので、面倒なことはしたくない」のが本音だろう。

それは自分の娘たちもそうだからである。前回の参院選で娘が親の私にこう言った。

「ねえ、誰に投票したらいいの?」というので、

「とにかく 脱原発の社民党で、もし候補者がいなかったら共産党に入れとけ」と答えたが、

実際二人の娘とも面倒くささにかまけて、投票には行かなかったのである。

小泉は街頭演説

「今回の都知事選は国の方向を決める大事な選挙だ!あなたの投票一つでそれが決まるんだよ!」

と投票を呼びかけた。それは暗に細川氏を投票するかしないかで、国の方向が変わると言っているのである。投票を呼びかけるには

みつを具体的

が必要である。

「一方、緑の党の比例で16万票をとったが、落選した脱原発派の三宅洋平は宇都宮を応援した。当初、細川が本当に脱原発を望んでいるか疑心暗鬼で、対話をしない細川を批判していた。しかし、選挙アンケートによって、両者が票の取り合いをすることで、脱原発都知事が落選する可能性が強くなったため、ツイッターでこう宣言した。それは辛口脱原発派のきっこも同じ意見である。」

昨日、

三宅洋平

「最終日に一本化でもいいじゃない。脱原発、脱被ばくで盛り上がれるなら、とことん祭り上げて、情勢的に優位な方へ一本化すれば。そんなことは、一人一人の有権者が投票する瞬間まで調べて見て話して悩んで、最後に自分で決めればいい事だ」

そのコメントに私がこう書いた

「 候補者も投票者だ。とことん盛り上げて、優位の方に譲る責任は候補者と応援者と支持党とリーダーにある。そうでないと、知事になることより、脱原発を本当に望んでいたということが証明できないし、投票者に責任転嫁する、ずるい逃げに過ぎない。感動させるのは主役の役目」

今回の都知事選で、脱原発運動家や脱原発政党や脱原発候補者の本音がはっきりするだろう。

それはいわば「動物のモラル実験」と同じだからである。なぜ、常に正当派の社民党がいつも負けるのはなぜかもはっきりするのである。国民の多くが脱原発を望むのに、どうして原発を進める自公民が圧勝するのか?それがこの都知事選ではっきりと解るだろう。

公平と公正さを望むのは人間だけではない、動物だって同じなんだ。宗教や哲学そして教育がなくとも、平和と共存、平等な社会は人が本能としてもっており、自然と築けるものなのである。

ずるさも、思いやりも、怒りも、愛も 動物には共通して存在している。現在の法律のもとになった社会契約論は

「人間には生まれつき、自分の命を守ろうとする自己保存の欲求と、他人よりも優れた存在でありたいという虚栄心が存在しており、この2つの欲求を誰しもが満たそうすると戦いが起こる」

というモラルのない人間を前提としているが、それは誤りである。人も動物も生まれつき「共存欲求」があるという前提にたった自然法に換える必要があるだろう。

 

 

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