さて、いよいよ「命がお金を創る」出番になってきました。
まず、命をいくらにするかを決めなくてはなりません。どんな「命も1つ」ですし、生まれたときは、地球上の68億人の命の差はほとんとありません。もちろん、姿形には差がありますし、その寿命にも差がありますが、命そのものは、生きているか、死んでいるかの二者択一しかできません。
数字でいえば、生きている数字は「1」であり、死んでいる数字は「0」です。そのため、数字の計算は10進法ではなく、2進法です。
しかし、お金は所有権を表すので、いわば、今持っている食べ物の数を表します。それは10進法で計算されます。
そして、人は食べ物がないと生きていけませんので、お金の所有権は生存権とも言えるのです。
地球がもし100人の村だったら、
この生存権のお金をどのようにして分けたらいいでしょうか?
人の命の差はないので、天から最初に与えられた生存権はみな同じで、各村人は1円生存権に設定できます。
100人の村はそのため、100円のGDP(総生産)が生まれます。
ところが、村に飢饉があって、一人分の水しかありませんでした。100人のうち1人しか生き残ることができません。
▼共存できない村
そこで、100人の村人は相談して、トーナメント方式で、マネーゲームをし、そこで勝ち残った1人に命の水が得られるようにしました。
これは弱肉強食は生物界では鉄則だからです。このマネーゲームは「生き残る夢の宝くじ」に似ています。100人分の名前を書いた回転板に弓矢を打ち抜き、それに当たった人が当選者になります。
こういう悲惨な時があったため、村人は100本分の水を常に確保することに努めました。そのため、100本分あったときは、常に1人1本与えられて、とても幸せな村になりました。
▼共存できる村
あるとき、一人が水を地下からいくらでも汲み出す井戸を作ることに成功しました。そのため、命の水も生存権のお金もいくらでも生産することが可能になりました。
すると、村人はせっせと、災害に備えて、水を蓄えはじめたのです。より多く水を蓄えた人が、働き者・金持ち・富裕者と呼ばれ、尊敬され、ほとんど水を蓄えなかった人が、怠け者・貧乏人と呼ばれ、さげすまれました。
すると、お金は生存権から所有権になり、命の水の貯蓄量を表す数字になってきました。
▼技術革新による無制限の生産拡大社会
ところが、命の水が所有権に代わった時から、人の格差は広がり、昔の飢饉があったときの生存競争をするようになったのです。そして、それは過激になり、100人の村の1人がほとんどの水を貯蓄し、1人が病気で働けず命の水が与えられず、死んでしまいました。
そのため、もっとも水を蓄えた人が王様になり、すべての水を管理するようになり、王様の言葉が法律になりました。王様の言うことを聞かない村人は死刑になりました。
これが今の世界です。
環境にやさしく、命を守るお金のシステムは100の生産と100のお金(生存権)を、等しく分配して、1人1円(生存権)を与えられることによって作り出すことができます。