神仏が何かではなく神仏を何にするかだ

ずいぶんと長く神仏を求め、最後は捨て去ったが

そういう信仰生活がなつかしく、その経験を利用できないか 考えてみた。

神仏を信仰すると 神仏はもっとも大事なモノになり、自分の命よりも大事になってくるが

その神仏とは何か?となると、実に抽象的になってしまい 解釈しだいで悪魔妄想にもなってしまう。

そこで

神仏が何か?ではなく、自分の最も大事なモノとしての神仏を何にするか?

そしてそれが抽象的なモノではなく、はっきりとした明確な姿をもった具体的なモノにして 求め実現しやすくすると

私が今最も大切だと思っているのは 「健康な心身」であるから、具体的神仏を健康な心身にすることで

健康な生活が実現しやすくできると思える。

 

健康な身体は病気や怪我がない快適な状態として明確であるが

健康な心となると 心自体がけっこう抽象的でとらえにくいが

その心が快適なもので まわりを笑顔にするようであるとすると健康な身体に似た心として捕らえることができる。

例えば

愛とか感謝の心はあたたかく感動的に受け入れやすい

前向きな心は勇気がでて快晴のような気持ちになる

静かな心は平和で安心していられる

それは言葉の内容だけでなく、話し方だったり、行為だったりする。

その人の言動と行為からにじみでてくる心がなんとも快適であたたかく 受け入れやすいというようなモノを健康な心といえるだろう。

 

健康な身体は食運動リズムの三柱が必要で

少食 散歩 早寝早起きを習慣化させ

健康な心は言葉 話し方 行為の三柱が必要で

静かな愛 すべてに感謝 前向きな考えを習慣化していく

こうした独自の方法で健康生活を実現したいと思っている。

 

カテゴリー: 徒然草, 自然に生きる パーマリンク