エネルギーも草木のように命循環する

ダイエットを始めてから 後1ヶ月で1年になる

2キロばかりリバウンドしたのを戻す作業が残っている

ダイエットをしてから大きく人生観も世界観も変わってきた

一日一日を最小限必要な飲食で健康を保つ習慣と環境づくりがダイエット生活の基本である

それに挑戦していると 飲食と銭が同じようなモノになってくる

それは仕事における収入にも影響してきて、今の仕事が本当に必要かどうか?

また銭においても必要以上稼ぐことはナンセンスに思えてきた

逆に余分な贅肉を落として健康生活に切り替えるために散歩や運動をするように

例え仕事が大幅な赤字で 貯金がどんどん減っていくとしても 社会に必要な仕事をボランティアとして続けることが大事に思えてきた

実際昨年から大幅な赤字で収入は半減している。収入だって娘の手取りの給料の額とそうかわりがなくなっている。

仕事もダイエット生活のような収支になってきたので 不思議なシンクロを感じる。

店が消費税アップでつぶれそうになっても ボランティアとして存続させる方針にかえ、

数ヶ月も滞納しているゴミ倉庫を 思い切って処分解約することで 捨てられない顧客の病気をストップさせる力になると決断実行した。

まだ処分が半分くらい残っているが ゴミ倉庫がきれいになり、次の顧客を待っている状態で収入がないが 捨てられないゴミ倉庫としての収入があるよりははるかに社会にとって良いことである。

ゴミ処理をしているとき、自分の畑でゴミを燃やし続けていたが その火力がもったいなかった。もしゴミ焼却炉と火力発電所が一緒になったら 輸入石油ガスを燃料とせずに電気を作れるのではないだろうか?

それは地元のゴミを焼却して 地元に必要な電気を作り出すことが可能になる自然循環型社会になるのではなかろうか?

植物が腐って肥料となり、また食料になるように、エネルギーもまた生活ゴミすべてがエネルギーに変換できるのではないだろうか?

ゴミの半分はプラステックであり、それらはもと石油である。そのまま石油を燃やして電力を作るより、石油から作られた製品が使われ消費されてゴミとなったものを燃やして電力を作った方が効率がいいように思える。

私が畑で燃やしたのは汚れた漫画や雑誌の紙類はもともと木であるから、それを燃やしてCO2を出しても木はCO2を吸収して成長したので 地球温暖ガスとしてカウントされない。農家ではせん定した枝や雑草をよく燃やしているが それもゴミ火力発電にすればば残った灰は肥料になるので一石二鳥になると思えるのだ。

それに水道に水力発電モーターを付けたならば使うごとに小さな電気も作れることになることも考えれば、生活して使ったエネルギーはゴミや工夫で元のエネルギーに変換できる循環型エネルギー生活ができるようになると、それは草木のように毎年新たな実を結び枯れてはまた実を結ぶ命の循環と同じ仕組みになるのではなかろうか?

人間の便だって メタンガスを発生させて燃やすことも可能であり、それはまた肥料して食べ物に再生することだってできる。

地消地産は自給自足であり、自立経済であり、自然循環する姿ではないだろうか。そうした自立経済家族社会が平等のつきあいで生まれたのが平和世界であり、他国依存症による戦争や隷属格差社会にはならない世界であろう。

 

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