意志の研究必要性

ダイエットを1年近く挑んでいると

いろいろな知識や技術が身についてきて

「やればできる」という理解と信念さえも持つことができる。

 

だが

「やればできる」とわかっちゃいるけど

「やめられない」「やれない」のがそもそも問題なのだ。

 

結局それは

意志の継続または強弱の問題なのである

私は長年新興宗教(思想)を信仰してしまい

それが教祖の洗脳みたいに 自分の意志が教祖の思い通りに働くことを経験している

もしもその新興宗教がオーム真理教のようなテロ宗教だったら集団殺人までも平気で行ってしまうだろうと思える。

今世界でテロヒンズー教を信仰した教徒によって自爆テロがあちらこちらで起こっているが

そうした妄想信徒に一度深く信仰を経験した者であるなら 自分もそうなってしまう可能性があると感じられるだろう。

洗脳状態における自分の意志は はたしてそれは教祖の意志なのか? 自分の本当の意志なのか?

はっきりと判断できるものではない

 

そもそも自分の意志の力はどれほどなのか?

その強弱は人によっても 時期によっても 環境によっても

大きく変化してしまうものである。

 

国民の意志だって 後で平和となった時代に戦争状態の時を思い出してみると

それは集団催眠(洗脳)されて 「お国(また天皇)のために 死ぬのは栄誉」であると信じて行動してしまった可笑しな時代に見えてくる。

原発が戦争原爆に代わる平和の電力技術と教育させられたのも それも間違った思想を教育することで 従順な子供を集団洗脳した国家教祖ともいえるものである。

 

そもそも憲法や法律はなぜ作られ 大きな力となりえるのだろうか?

国民の意志があちらこちら揺らぐことを抑え

一つにまとめ 大きな力として動くようにしたものであると思える。

それは国民の意志の継続をうながす力であろう。

宗教が力を持つのはその法律のような経典である。

教祖が力を持つのは教祖を信仰する信徒の数である。

民主主義もまた多数決で判断されるので 民主主義を信奉する信徒の数で力を持つといえる。

 

ダイエットを目指す自分自身にとっても

平和を目指す日本国民にとっても

自分の意志の研究をすることはもっとも大事な学問になりえるであろう。

 

 

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