自由は適度な協力で勝ち取るものだ

今年に入って 次から次へと新問題が発生しては追われている

ゴミ処理が一段落して 板橋にリフォーム再開と思いきや バイク故障

ガソリン漏れから始まりキックスタートできずと・・・癌の転移みたく広がり

それを直そうとすると 壊れてないものまで壊してしまったり、

故障原因を間違えて 無関係の部品やオイルまで買い込み交換する悪循環をして

結局 新しくバイクに買い換える決断をするが

壊れたバイクがそのままでは気になり 修理することが納得いくまでやめられなくなっている。

 

こうした雑務に追いかけられながら

一体自分の本当の目的は何なのか? それを問い直してみる!

それは今年もダイエット! ではあるが

ダイエットとバイクの修理とどう関係あるのか?

まったく関係ないようで 実は大ありなのだ!

老朽化して壊れたバイクとメタボ老人とはリンクするからだ。

さらに そのリンクを通じてダイエットの健康のさらに上の目的まで深めることになってきた!

 

先日は「意志の問題が最も重要」が さらに「自由な意志」の考察まで進み出した

「自由は丁度いい協力で保持また広げることができる」

バイクを修理するのも自由だし、新しいバイクを買うのも自由だ

だが両方の自由を選択するより、どちらか一方の自由を選択する方がより自由になれる!

老人となった私にとって 最も大きな目的は残された人生をどう生きるか?である!

それはまた子ども達に何を残すか?という問題でもある。

 

人生64年も生きていると

自由に生きられることが最も大事で最も幸福になれることだと信じられてくる。

そうした自由という幸福を子ども達にも与えたいと望むのだが!

単なる財産を残すことがそれにつながるかは疑問であり

それは銭をたくさん持っていれば たくさんの自由を得られるかが疑問であるようなものだ。

次から次へと起きた問題だって

私が親からの遺産としてもらった土地や不動産や店や銭から起きてきたものであり

もし遺産を放棄すればそんな問題は起きなかっただろう!

しかし遺産放棄して 別な大きな問題が生じて追われただろうことも大いに想像できることだ!

つまり

自由は環境によって その内容は異なってくるが 自由度の100%原因にはなりえないものである。

自由とは自由環境よりも自由意志の方がより重要度も大きく 自由度も幸福度も大きくなってくる。

自由環境を100%幸福度と勘違いして イスラム国の戦争や 他国への侵略挑発で 逆に不自由で不幸環境へと陥る国もある。

そうした国際環境や交流をどうするか考える材料となるのが自由意志と自由環境の問題である。

自由意志は親子であっても本人以外の力は本人の意志よりはるかに小さいものだ。

子どもの自由と幸福に対して親ができる自由環境は財産よりも親の生き様の方が大きいように思える。

教育は知識を与えるよりも 産婆さんのように本人が学ぶのを助ける(協力する)ことが重要であるように。

親がこうやってダイエットに成功したという生き様を子どもに残せば 財産を残すより

子どもはダイエットに成功して自由な幸福を得られる刺激と環境を手にすることができるだろう。

 

自由意志と自由環境の度合いは私の瓦理論の8:2で丁度いいバランスがとれると思える!

次から次へと起きる雑務問題も この瓦理論でハッピイへと変貌させることができる。

雑務問題はいわば自由環境が少なくなり隷属状態のように追われる感じになるが

それを自由意志80% 自由環境20%に改革し決断すると

雑務問題は私の趣味娯楽80%になり、その銭と手間20%になって丁度いいバランスを楽しむことができる。

バイクもほどほどの修理して 新しくして老後を楽しめるバイクに買い換えるのがいいし、

店も倉庫付き駐車場もアパート修理や賃貸問題も 80%私の道楽にして、

その総収益は20%で私が生きられる最低限の生活保障で充分満足すれば丁度いいバランスで幸福度が高くなる。

またそうした親の自由な生き様を子どもに残すことが一番子どもが自由な幸福が得られる20%の親が与えられる自由環境(刺激)であろう。

 

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