自分とも友だち会話が丁度いい

親子も友だち関係が丁度いいように

自分との関係も友だち関係が丁度いい。

自分の身体は自分の思い通りには動かないで苦労するし

自分の心や欲望だって 自分が本当に望む通りには動かないこともたびたびだ。

そこで

自分との葛藤といいうか 自分との会話というものが必要になってくる。

こうしてブログを書くことだって 自分との会話である。

多くの人が利用するツイッターだって それは自分のつぶやきであって 他人のコメントを期待するものではない

家族もそうだが 人と話をしていると

特に自分に攻撃的に話しかける人をよく観察していると

彼らは私に語りかけているのではなく 彼ら自身に話しかけていることに気が付くことがある

娘が親の私にうるさくダイエットするように話しかけることがあったが

それが親の私に対してではなく 娘本人がダイエットに苦労していて自分自身に語っていた。

それは日頃のうっぷんを特に親しい人にうさばらしするようなものである。

それが気が付く時はその内容がかなりずれている時である。

それはうっぷんばらしだけでなく 通常の会話でも起こりえることだ。

つまり 人と話している時でも 自分自身に話すときでも 友だちとして話せば丁度いいってことになる。

 

神さま 自然から見ても 自他は一体である。

それはまた自分自身もまた自他二人に常に分かれているようなものでもある。

自他 そして自分自身の会話そのものが 自他一体の姿を映し出しているのだろう。

 

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